「妻の手術」の間に読んだ三冊のマンガ
昨日は、「帝京大学医学部附属病院」で「妻の手術」だった。
①僧帽弁閉鎖不全症
弁形成術
②三尖弁閉鎖不全症
弁形成術
つまり、「心臓の血液を送り出している『弁』」が上手く機能しなくなって、「血液」が「逆流」している病気。
その「弁」が2ヶ所有り、それを「形成」して、元の「健康的な状態」に戻す手術だ。
妻が「インターネット」で探してお会いして、「手術」を決めた「帝京大学医学部附属病院 心臓血管外科」の主任教授・下川先生が執刀医である。
昨日、8時に僕と長男は「妻の病室」に到着。
8時30分、妻は元気に手を振って、「手術室」に入って行った。
それから7時間。
15:30、僕と長男は看護師さんに呼ばれて、「ICU」に案内される。
妻は静かに顔色も良く、ベッドで眠っていた。
まだ、「全身麻酔」が効いていて、全く意識が戻っていない。
でも、血圧は「120と100」を示しており、心拍数も安定していた。
「手術」は「人工弁」を使う事もなく、大成功だった。
「人工弁」を使うと、15年くらい経ったら、「再手術」が必要になるのだ。
僕と長男は本当にホッとした。
長男は僕を車で自宅まで送ってくれた。
「手術中」、僕たち二人は「家族控室」という四人定員の部屋で待っていた。
やっぱり、不安で「飲み物」をがぶ飲みした。
水分を摂り過ぎで、僕は何度もトイレに行った。
こんな時、読みやすいのは「マンガ」だと思って、「積ん読」状態になっていた三冊を家から持ち込んだ。
それが「shrink」の第4巻、「昭和天皇物語」の第4巻、そして「ブスなんて言わないで」の第4巻である。
「shrink」は「PTSD」と「境界性パーソナリティー障害」を描いた回。
僕は1997年、「心療内科医・涼子」という室井滋さん主演の連続ドラマをプロデュースしており、その中で、「境界性パーソナリティー障害(境界性人格障害)」を描く回があった。
ゲストに「松嶋菜々子さん」に御出演頂いた。
ドラマ「心療内科医・涼子」は本放送以来、一度も再放送されていない。DVD化も。
当時、「心療内科医・涼子」の「ドラマ情報」が掲載された「ザテレビジョン」などの紙媒体に、「精神科」で扱う「病名」が誤って載ってしまった。
もちろん、「ドラマ本編」の「医療監修」は「東邦大学大森病院心療内科」に「監修」してもらっていたが、「宣伝資料」まで、「チェック」が出来ていなかったのは明らかに、プロデューサーである僕ら「制作陣」のミスである。
「ザテレビジョン」等を読んだ「心療内科」の「学会」からクレームが付いた。
僕たちプロデューサーや「考査担当者」含め、複数人で「学会」に赴いた。
「学会」の人たちの話を真摯に聴き、資料も頂いた。
「望月涼子先生の診察は『心療内科』の範囲を超える事がありますが、それは『キャラクター設定上』の描写です」
という「テロップ」を入れて「第一話」を放送した。
その後も「心療内科」の発祥の地である「九州大学」や「日本大学」「東京大学」からのクレームは来ていたが、放送10回は完結して終わった。
1997年当時、「心療内科」という「科目」は全く知られておらず、そういう意味でも、僕は放送を続けて良かった思っている。
「心療内科」とは「頭」に「ストレス」がかかり、それが「カラダ(内科的)」(腹痛、下痢、様々な身体の痛みなど)を治療する「内科」の事である。
「精神科」とは「頭」に「ストレス」がかかり、「脳」に異常を来たす「病気」を治す「科目」なのである。
「心療内科」は「内科」なので、「ベッド上に患者を強制的に拘束する事」は出来ないが、「精神科」の医師はそれが出来るのである。
もちろん、「心療内科」の医師をまとめている「心療内科学会」が「ドラマ」に抗議した事も重く受け止めている。
世の中にリリースした資料が誤っていたのだから。
「患者側」の「立場」から見たら、「心療内科」と「精神科」、どっちを受診すれば良いのか分からない。
「医療監修」して頂いた「東邦大学大森病院」の先生と何度も話をした。
「心療内科」を受診してみて、「心療内科」の「医師の判断」で、「精神科」に回ってもらうというのも良いのかも知れませんね。
という話だった。
今よりももっともっと「精神科」に通っている事を「周りの人に知られたくないという偏見」に満ちていた世の中。
二冊目の「昭和天皇物語」。
前々から、「昭和天皇」には興味を持っていた。
「太平洋戦争終戦時」の「天皇」の「胸中」を知りたかった。
その為に、「昭和天皇」の「生い立ち」から詳しく知る事が出来る、このマンガは素晴らしい。
そして、三冊目。
「ブスなんて言わないで」。
「フェミニズム」が叫ばれながら、同時に「ミスコン」は行われ、「tiktok」や「X(旧Twitter)」では「女性の美しさ」「女性のセクシーさ」を競う様に上げる「女性自身の投稿」が多々ある事に疑問を持っていた僕に「一つの答えらしきもの」を教えてくれたマンガである。
三冊を読み終わって、エラリー・クィーンの「ギリシャ棺の謎」の続きを読み始めたら、「妻の手術が成功した事」を看護師さん伝えられて、僕と長男は妻がいる「ICU」に向かった。
1991年5月に結婚して、23年連れ添った「妻」の「元気な顔」を見た時、僕の心の中から「生きている実感」が沸々と湧いて来た。
長い長い一日が終わった。