石橋と大阪大学
阪急宝塚線「石橋駅(現・石橋阪大前駅)」から歩いて、5分ちょっと。
坂を上り始めると、突き当たりに「阪大医療短期大学部」(通称・医短・・・現在は廃部されて無い)があり、そこを右に曲がって行くと、「大阪大学豊中キャンパス」の通用門がある。
そして、「イ号館」の横を通り、大通りに出たら、左側に見えるのが「ロ号館」。右手前に「経済学部」。その奥に「法学部」と「文学部」。
「ロ号館」の斜め向かい、「基礎工学部」の向かいに「学生食堂」がある。
当時、「阪大ランチ」(日替わりランチ)が250円。「とんかつ定食」が270円だった。
「経済学部」の裏手には、一階に「本屋」、その上に「別の学生食堂」があった。
この「学生食堂」のメニューは微妙に高くて、「ランチ」が430円くらいした様に思う。
なんか、「心が踊る出来事があった時」「贅沢をしたい時」、この「学生食堂」を利用した。
「本屋」は「学生証」を見せれば、5%引きだった。
本は必ずここで買った。
「中央環状線」側の入口が「車の入れる正門」で、入ってすぐ右側に「理学部」があった。
阪急千里線「北千里駅」を最寄りとする「大阪大学吹田キャンパス」には、当時「工学部」「薬学部」「人間科学部」があり、後に「医学部」「歯学部」が移転して来た。
さらに「大阪外国語大学」を併合して出来たのが「大阪大学箕面キャンパス」。
こうして、「大阪大学」は「3つのキャンパス」で構成される事になる。
石橋駅近辺でよく行ったのが、中華料理店「天鳳」。
この店は「下宿生のお腹」を満たす為、「チャーハン」「天津飯」の「大盛り」が「洗面器」の大きさの器に入れられて出て来た。
この「天鳳」は現在、阪急箕面線の「牧落駅」近くに移転している。
そして、いろんな「雀荘」に通った。
「大英」「三英」などなど。アルバイトのスケジュールを変更して、麻雀に興じた。
「就活」で使った喫茶店は「ドレミ」。
1982年初夏の頃から、「大阪大学卒業のいろんな企業で働く先輩方」と「ドレミ」でお会いした。
当時は「圧倒的に『学生側』が優位な売り手市場」だったので、「就職活動の機会」に「いろんな業種の企業」の方と会いたいと思い、100社以上の会社に「ハガキ」を出して、たくさんの人と会った記憶がある。
居酒屋は「ほろ酔い」。
「石橋駅」出た所のパチンコ屋「石橋会館」の裏手にあった。
ここでは、「経済学部」の友だちと「入学早々」、宴会をした。
彼らとは今でも付き合っている。
パチンコ屋「石橋会館」では「アレンジボール」や「雀球」をしに行った。
「就職浪人」した1981年秋、行く度に「フィーバー」して、僕は「運」を使い果たした。
結局、「旅行代理店」には入れず、翌年「テレビ局」に就職する事になる。
この小説。
「石橋駅界隈」の雰囲気を本当に巧く描いている。
「庶民の街」である「石橋」。
立地上、「駅ビル」とか、「駅前開発」に晒されるリスクは無い。
この小説を読んでいたら、秋の涼しい頃、「石橋」に行きたくなった。
そして、「阪大」にも。