「お笑い番組」の撮り方
僕は「歌番組」以外のジャンルの番組はほとんど全てディレクターをやった。「ワイドショー」「ロケ番組」「クイズ番組」「お笑い番組」などなど。
その中でも撮るのが難しかったのが、「お笑い番組」。
お正月特別番組として、「今年はこうなる!'88爆笑大予言」(1988年)という番組を関西地区では放送した。
「新しい年に起こる事を、新作の漫才や落語で『予言』する」という内容の番組だった。
出演(敬称略)はオール阪神・巨人、今いくよ・くるよ、桂文珍、宮川大助・花子、横山ノック・横山やすし(師弟漫才)、桂三枝(現・文枝)だった。
MCは横山ノックさん、上岡龍太郎さん。
まずそれぞれの漫才師や落語家が構成作家や自分自身で仕上げた台本をもらい、僕は読み込む。
そして、そのネタをNGK(なんばグランド花月)でかけるのであれば、それを見に通った。
「笑いが起こるタイミング」を見ておかないと、「カメラのカット割り」が出来ないからだ。
「漫才」は笑いが頻繁に起こるからまだいいが、「落語」は「話の流れ」で笑いを取る為、ピンポイントでお客さんは笑う。
だから、「漫才」を撮るより、「落語」を撮る方が難しい。
いずれにしても、「カット割り」をするのは、編集して「放送尺」にしなければならないからだ。
NGKに通っていて、気付いた事がある。
NGKのテレビカメラは舞台からかなり遠い通路に3台が集まって並んでいるのだ。
それにお客さんの笑っている顔を撮るカメラが舞台袖近くにもう1台。
これは何故?
いろいろ考えた。
いちばんは「演者がテレビカメラを気にせず、漫才や落語を出来る様にする事」だと思う。その為に舞台から出来るだけ離れた場所にカメラは置いてあるのだ。
カメラが3台、中央に集まって並んでいる理由。これは「漫才」も「落語」も1人〜2人の少人数でやる芸。
劇場に来ている人と同じ様にテレビの視聴者がその芸を観るとすれば、「舞台を中央から観れる位置」にカメラがあるのがベスト。
中央にカメラを1台置いて、離して「ハの字」に残り2台を置くと、カメラを切り替える度に、演者を観る「角度」が変わってしまう。
特に「落語」の場合は落語家が左右を向いて、何人もの人物を演じるので、「左右のカメラが『ハの字』に撮っている」と、どの人物を演じているのかが分からなくなってくる。
「ロープに吊った大胆に動くカメラ」など、あらゆる角度から歌手を撮る映像を切り替える「音楽番組」とは撮り方が全く違う。
NGKのカメラの配置は理解したが、「爆笑!大予言」の収録は局のスタジオ。
お客さんを入れたら、カメラの引きじりはNGKと比べると全然取れなかった。
出来るのは、テレビカメラの「タリ」を消す事。「タリ」とはそのカメラが映像を撮っている時、カメラの前面に赤く光るライトのことだ。それは演者の気が散らない気遣い。
本番収録が始まる。元々もらっていた台本を舞台にかけて手応えを見て変えてみたり、アドリブを入れてみたりして大きく変えてくる演者。
ほぼ台本通りの演者。
本番中は笑いが起こったら、カメラを切り替える指示を出さなければいけないので、全く気が抜けない。
「お笑い番組」をやってみて、「笑い」は「生もの」だとつくづく思った。
だから、演者が「芸」で勝負している姿は常に美しい。
吉本興業には全国に劇場がたくさんある。どんなに売れても、その「板」の上でほとんどの芸人が毎回毎回、「芸」を磨くのである。
特に「漫才」は2人が立って、ただ喋るだけの「芸」。「横山エンタツ(花紀京さんの父親)・花菱アチャコ」の時代から綿々と続くこの「芸」は大阪だからこそ成立したのだろう。
「今年はこうなる!'88爆笑大予言」。
今でも忘れられない番組だ。
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