アイのない恋人たち
テレビドラマとはなんだろう?
「時代を映す鏡」の様なものだと、僕は思う。そこに、脚本家・作り手の「主義・主張」がさりげなく盛り込まれている。
その名手は脚本家・山田太一さん。
「想い出づくり。」では、当時「クリスマスケーキ」と言われた25歳前の三人の女性の「切実なる悩み」を見事に描き出した。
「ふぞろいの林檎たち」では「四流大学」の学生たちの「屈折した青春群像」を鮮やかにドラマ化した。
この一月。かつて、ドラマを御一緒した脚本家の遊川和彦さんがテレビ朝日系「アイのない恋人たち」を書かれるという事で、大いに期待して放送がスタートするのを待っていた。
35年前、大阪で「朝の連続ドラマ」のアシスタント・プロデューサーをやっている時、スタッフルームのテレビで、遊川さんの「予備校ブギ」や「ADブギ」を観て、ものすごく元気をもらい、感動し、一生に一度で良いから、遊川和彦という脚本家と仕事をしたいと思った。
山田太一さんのドラマを観て、ドラマを志し、遊川和彦さんのドラマを観て、東京でドラマを作りたいと強く思った自分がいた。20代半ばの頃の話だ。
遊川さんとドラマを作る「夢」が叶ったのが、30年前。本当にラッキーだった。
そして、今。
そんな遊川和彦さんが迷っている様に思えてならない、僕には。
「アイのない恋人たち」。
普通の30代の男女7人が「不器用に愛を求め、本当の愛を見つけていく物語」だと思うのだが、巧く描けていない。
僕は妻とこのドラマを毎週一緒に観ているのだが、30代の「男女」が「現実社会」でこんな行動をするだろうか?という描写が多すぎるし、感情移入出来る登場人物もいない。
よく知っているプロデューサーが作っていて、この前の日曜日放送された「第6回」が「遊川和彦さんしか書けないものすごく面白いドラマになっている」とFacebookで書いていた。
しかし、全く面白く無いのだ。
このところの遊川作品、「ハケン占い師アタル」「同期のサクラ」「35歳の少女」「となりのチカラ」「家庭教師のトラコ」「アイのない恋人たち」と続いているのだが・・・
「テレビドラマ」は「社会問題」に対して、「何らかの形」で「問題提起」するものだとしたら、これらの「作品群」は「何をテーマに作っているの?」だろうか。
インターネットが普及して、ドラマや映画が作りづらくなっている時代、遊川和彦さんには山田太一さんの様に、「時代を捉えたドラマ」を書いて欲しいと僕は強く思う。
先月、BS-TBSで、山田太一脚本の「想い出づくり。」の再放送を四半世紀ぶりに観た事もあり、「アイのない恋人たち」のストーリー展開とキャラクター設定、台詞のやり取りに、かなりの疑問を持ってしまう。
遊川さん、僕が「朝ドラ」をやっていた35年前の様に、「閉塞した今の世の中」を「遊川和彦ドラマ」で明るく照らして、元気づけて下さい‼️