映画「二十四の瞳」に木下惠介監督が足したシーン
木下惠介監督の映画「二十四の瞳」は1954年(昭和29年)に公開され、この年の「キネマ旬報ベスト10」の第一位に輝いている。ちなみに第二位も木下惠介の映画「女の園」。
あの黒澤明監督の大傑作「七人の侍」も同じ1954年公開だが、第七位だ。
「二十四の瞳」の原作は壷井栄。
映画は原作を忠実に再現しているが、1つ木下惠介が足している、「原作に無いシーン」がある。
映画の中頃、高峰秀子演じる大石先生は教え子を連れて、香川県金比羅神社に修学旅行に行く。
その帰り、大石先生は気分が悪くなり、同僚の先生と二人でうどん屋に入る。
そこで、消息を絶っていたかつての教え子・松ちゃんが「丁稚奉公」をしているのに出会うのである。
大石先生と松ちゃんは言葉を交わそうとするが、浪花千栄子扮する意地悪なうどん屋の女将がことごとく意地悪をして、それを遮る。
小豆島へ戻るフェリーの時間が迫り、大石先生は教え子たちのところに戻ろうと、後ろ髪を引かれる様にうどん屋を出る。
堪らず、先生を追いかける松ちゃん。しかし、大石先生は既に教え子たちの明るい歓声に飲み込まれていたのだった。
かつての同級生の姿を身を隠す様に見つめる松ちゃん。
遠くから聞こえるフェリーが岸壁を離れる汽笛。
ここからが、木下惠介が原作に書き足した唯一のシーン。
松ちゃんは、フラフラと遠くに去り行くフェリーの見える岸壁に。
そして、カメラは「小さな彼女の背中」の向こうに「小さくポツンと見える、大石先生と同級生の乗ったフェリー」を捉える。
フェリーが徐々に遠ざかるにつられて、松ちゃんも右に右にと一歩ずつ動いて行き、そのスピードは徐々にではあるが、速くなる。
カメラもそれに合わせて、「同じ画」のまま、横移動して、「松ちゃん」と「フェリー」を映し続ける。
やがて、もう一度、汽笛がなり、松ちゃんは動きを止める。無情にもだんだん小さくなっていくフェリー。
ここまで、木下惠介監督は「ワンカット」で撮影。
すごいのは、「松ちゃんの顔」を一切映さない事。背中だけなのだ。
多分、彼女は溢れるばかりの涙を流しているのだろうが、そこはすべて映画を観ている人の「想像」に委ねている。
圧倒的に「松ちゃんの顔を見せない方」が悲しいのである。
このシーンを観るだけでも、今、映画「二十四の瞳」を観る価値はすごくあると僕は思う。
木下惠介のドラマの作り方は、彼の助監督を務めた脚本家・山田太一にしっかりと伝承された。
その山田太一を「心の師匠」と仰ぐ脚本家が脈々と今の「日本のドラマ界」を担っていると僕は思う。