横山やすしさん

大阪・東天満にあった局舎。一階のロビーの公衆電話、大声で怒鳴り散らす細身の男がいた。大量の唾で電話が濡れている様にも思えてしまった。

誰もその迫力に側を通れないどころか、近づく事も出来ない。

横山やすしさんである。磨き抜かれている、先の尖ったエナメルの白い靴、その服装は体型にめちゃくちゃフィットしており、すごくオシャレでもあった。

当時、やすしさんは日本テレビ、日曜よる8時からの「久米宏のTVスクランブル」(1982〜1985)にレギュラーで出演しており、その破天荒なコメントを、テレビの事を知り尽くした久米宏さんがまるで「猛獣使い」の様になんとか巧みに操っていく様子が物凄く面白く、僕は毎週楽しみに観ていた。

「TVスクランブル」は生放送。横山やすしさんは時には泥酔状態。

そして生放送中に
「ちょっと、オシッコ!」と言って、気軽にコメンテーターの席を外す事もしばしば。

でも、その姿がとてもとても可愛らしく、僕含め、視聴者に、この番組は好評だった。

ある年の暮れ、僕は「漫才番組」のディレクターをやる事になった。

当時、西川きよしさんは国会議員をやっていたのだろう。
「横山やすし・西川きよし」の漫才は出来ず、「横山ノック・横山やすし」の師弟漫才を収録する事になった。

横山ノックさんの弟子をやっていた時、やすしさんはどんな弟子だったんだろうと考えると、なんだか面白くなって来た。

師弟漫才の収録が始まる。二人の打ち合わせは、本番前、セットの裏で五分弱。

漫才はとても面白かった。でも、横山やすしさんは師匠である横山ノックさんを畏れている事がこちらにも微妙に伝わって来た。

語弊を恐れずに言えば、「モハメッド・アリの強烈なパンチを怖れて、リングに寝そべりながら、技を繰り出すアントニオ猪木」と言った感じ。

西川きよしさん相手に漫才をやる時とは違って、「ツッコミ」が寸止め。やはり、満面笑顔の師匠ノックさんの事は怖いのだろうか。

そんな横山やすしさんが「11PM」に出演する事になった。

女優・十朱幸代さんとやすしさん、二人だけの対談コーナー。

夕方、マネージャーに連絡があったきり、やすしさんとの連絡は途絶えた。カメラリハーサルにも姿を見せなかった。マネージャーと僕たちスタッフが東天満の街に出て、やすしさんを必死で探す。
生放送の本番の時間は一刻一刻と近づいて来ていた。

23:33、「11PM」の生放送のスタート時刻。そのわずか10分前、横山やすしさんは局の前に姿を現わした。お酒を飲んでベロベロだった。どうやら、夕方から今まで飲んでいたらしい。

後で聞いた話だが、やすしさんは十朱幸代さんの事が本当に好きだった。憧れだった。十朱幸代さんとの二人っきりの対談。

シャイなやすしさんは、本番までお酒を飲まずにはいられなかったのだろう。

生放送は無事には終わらなかった。

CMの間に、泥酔して一人で歩く事も出来ないふらふらのやすしさんをスタッフ二人が抱えて、十朱さんの前のイスに座らせる。

二人の対談が始まった。やすしさんは、イタズラを見つかった子供の様に、十朱さんに諭されていた。
十朱さんの前で、その存在はポツンと小さなものになっていた。

やすしさんは十朱さんの顔を見る事も出来なかった。呂律が回っていなかった。

そんなやすしさんを十朱さんは笑いながら、叱っていた。結果、愛らしい対談になっていたのかも知れない。

天才漫才師・横山やすし。その素顔は、愛情に飢えて、シャイで、可愛い少年だった様に僕は思う。これは本当に全く僕の私見です。

横山やすしさんの様な漫才師は今後、二度と出て来ないだろう。

1996年、横山やすしさんは51歳でその生涯を閉じた。生きていれば、今年79歳。天才漫才師はどんな漫才を僕たちに見せてくれたのだろうか?

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