
恩師・フリン先生




おはようございます!」「おはようございます!」と上級生を抜く度に、僕は言いながら、20分の急坂を登って行った。初めての登校。家から片道1時間半かけての通学だった。

中学1年B組。アメリカ人神父ロバート・フリン先生が担任だった。

プログレス イン イングリッシュ

プログレス イン イングリッシュ
英語の教科書「プログレス・イン・イングリッシュ」の著者である。僕はその時まで、外国人と話をした事が無かったので、凄く緊張していた。



六甲中学・高校には、2限と3限の間に、「中間体操」と呼ばれる儀式があった。2限が終わると、全校生徒が上半身裸になって校庭を、クラス毎に集まって走るのである。
何故、この「中間体操」を行なうかというと、もちろん日々の健康の為でもあるが、毎年2月に行われる「競歩大会」を走り切る体力を培う目的も大きい。「競歩大会」とは、36キロの距離を中1から高2までの生徒が走るマラソン大会の事である。

もう一つ、六甲中学・高校で有名なのが、「便番」こと、「便所当番」である。何故か、上半身裸、短パンになって、便所の小便器も和式の大便器も、手を中に思いっきり入れて、ゴシゴシ洗う。作業が終わったら、担当の先生に見てもらい、OKをもらう。六甲の水道は、六甲山から湧き出る水なので、冬は手の感覚が無くなるほど、冷たい過酷な作業だ。
フリン先生が顧問をしていたバスケット部への入部は25人とダントツに多く、僕もバスケ部に入部した。

スティーブ・マックィーン

スティーブ・マックィーン

スティーブ・マックィーン
先生は、スティーブ・マックイーンの様にバイクに乗って家庭訪問に訪れた。僕も母もビックリした。
先生は、僕らをアイススケートや飯盒炊爨、そして1週間をかけた自転車旅行に連れて行ってくれた。



自転車旅行は、神戸から姫路へ出て、小豆島に渡り、四国へ。淡路島を通って、神戸に帰って来るというもの。旅の途中で転倒し、身体中、包帯で巻かれた僕をフリン先生は懸命に励ましながら、完走させてくれた。

先生に引率され、バスケ部でいろんな学校に試合に行ったが、中でも当時、隣の長峰山に学校があった「カナディアン・アカデミー」は思い出深い。外国人が通う学校だった。
試合中、チアガールが出て来て、男子校の僕たちは彼女たちの事が気になって気になってしょうがなかった。

高校になって、教室で「コックリさん」をやっていると、「宗教が違う!」と何故か先生に激怒された想い出でも今となっては懐かしい限りだ。
その後、先生は福岡・泰星高校に転出された。


先生の最終赴任地は津和野教会。やがて認知症を患われ、山口教会におられた。僕は先生に会いに行った。
「キミは今日どこから来た?」「東京です」。
この問答を何回繰り返した事だろうか。とても悲しくなった。

最後は、東京練馬の、イエズス会の神父さんが入る養老院・ロヨラハウスにおられた。
ハウスの院長によると、先生は本を読まないので、テレビでスポーツ観戦するのを楽しみにしていたそうだ。デイサービスに行っても、先生は人気者だった。
ある日の夜、僕のスマホに「フリン先生、危篤」という知らせが届いた。
翌朝いちばん、ロヨラハウスに行くと、先生は眠る様に亡くなられていた。御遺体を触ると冷たかった。大きな窓が開いており、冬の冷たい風が入って来た。部屋には僕しかいなかった。僕はフリン先生を独り占めするかの様に、顔を見ながら心の中で話しかけていた。