「007」の新作が公開されない理由
「007シリーズ」について書きたい。
原作者イアン・フレミングのところへ映画化権をもらいに来た男がいる。プロデューサーのアルバート・R・ブロッコリである。彼に原作者はこう言う。ハリー・サルツマンという男に映画化権は渡したので、彼と共同プロデューサーでやるならOKだと。
こうして、2人のプロデューサーにより、シリーズ第1作「007/ ドクターノオ」(1962)は生まれる。
2人のプロデューサーの共同制作が続く。
転機が訪れたのは、「007 /黄金銃を持つ男」(1974)。この映画で、慎重なプロデューサー・サルツマンは「007シリーズ」から身を引く事になる。
アルバート・R・ブロッコリ単独プロデュースになったのが、次作「007/私を愛したスパイ」(1977)。
この映画で、サルツマン無きあと、ブロッコリのエンタテインメント好きが開花。過去の作品のパロディあり、大男ジョーズの登場あり。オープニング映像もオシャレ。ジェームズ・ボンドの秘密兵器も素晴らしく、これでもかこれでもか、とエンタテインメントシーンがてんこ盛り。アッと言う間の2時間。
僕はこの映画を大学受験直前、1978年正月に梅田の「三番街シネマ3」で観ている。まだ、映画館は定員入替制では無く、超満員立ち見で観た。鳥肌が立つほどの面白さだった。今でも「007シリーズ」のベスト1は?と言われたら、この映画をあげるだろう。
次作「007/ムーンレイカー」(1979)。これはブロッコリがエンタテインメント性を出し過ぎた失敗作。宇宙にまで飛び出したこの作品は現実性に乏しく、感情移入が出来ないところが多々あった。シリーズ低迷への曲がり角になった。
シリーズの編集を担当していたジョン・グレンが監督した「007/ユア・アイズ・オンリー」(1981)という佳作はあるものの、ロジャー・ムーアもジェームズ・ボンド役を降り、シリーズの人気は次第に下落していった。
そして、低迷のきっかけになったのが、第1作「007/ドクターノオ」(1962)から「007/消されたライセンス」(1989)まで脚本を担当し続けてきたリチャード・メイボウムの死である。「007シリーズ」の大きな流れを作り続けて来たのは、メイボウムと言っても過言では無いだろう。
低迷し続けていた「007シリーズ」を復活に導いたのは、脚本家ポール・ハギス。「ミリオン・ダラー・ベビー」(2004)「クラッシュ」(2004)でアカデミー賞を受賞した彼は、「007/カジノ・ロワイヤル」(2006)の脚本に関わり、大きな成果をあげている。ここに第二のリチャード・メイボウムが誕生したのだ。
シリーズは「007 /ノー・タイム・トゥ・ダイ」が公開されてから音沙汰が無い。
原作者イアン・フレミングは、映画のジェームズ・ボンドに関して、いちばんイメージ通りだったのは、ロジャー・ムーアだと語っている。僕もユーモアのセンス含め、彼が適任だと思う。
007映画を高校の友だちと観た後、帰国子女である彼の家に遊びに行った事がある。お母さんが出て来られたので、「ゼロゼロセブン」を観に行った事を報告すると、彼女は人差し指を振り、「ダブルオーセブン」とネイティブな発音で言われた。ちょっと引いたが、僕もそれ以来、「ダブルオーセブン」と呼ぶ事にしている。たしかに、「007シリーズ」の登場人物、「M」や「Q」は、ジェームズ・ボンドの事をそう呼んでいる。
最新作の「007」はバーバラ・ブロッコリプロデューサーとAmazonの間で揉めているらしい。
アルバート・ブロッコリの娘、バーバラは壮大なスケールで「007」を製作したいという意志を持っているが、映画会社「MGM」を買収して、「Amazon MGM」となった今、Amazonの意向は「安全に効率良く儲ける事」。
だから、両者は対立しているのである。
配給会社が「ユナイテッド・アーティスツ」→「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」→「コロンビア・ピクチャーズ」→「ユニバーサル・ピクチャーズ」と変遷して来た「007シリーズ」。
しかし、「007」について語るのはとっても楽しい。
ちなみに1番好きな「ボンドガール」は「007 ロシアより愛をこめて」のダニエラ・ビアンキだ。