神戸銀行から三井住友銀行へ
僕が生まれたのは1960年(昭和35年)。
多分、幼稚園に入る前から、「お年玉」をもらっていたと思うのだが、はっきりとは憶えていない。
でも、小学校低学年の頃、気が付けば、僕の「銀行通帳」は作られており、それは「神戸銀行」のものだった。
何故なら、僕たち家族は当時、兵庫県西宮市に住んでいたからである。
1973年、僕が中2の時、「神戸銀行」は「太陽銀行」と合併して、「太陽神戸銀行」となる。
1983年、就職した僕は会社の近く、「住友銀行」南森町支店に「給与振込口座」を新たに開いた。
1990年、「三井銀行」と「太陽神戸銀行」が対等合併。
「太陽神戸三井銀行」が誕生。
1992年には「さくら銀行」とその名称を変えた。
1999年、「住友銀行」と「さくら銀行」が全面提携を始めて、やがて合併。
出来たのが「三井住友銀行」である。
なので、僕は今、元々「神戸銀行」で作った「三井住友銀行」の口座と元々「住友銀行」で作った口座、2つを持っているのだ。
かつて、僕の大学では「文系人気企業」のトップには「住友銀行」「三和銀行」「住友商事」など、関西系の「大手銀行・商社」が並んでいた。
それらの企業に行く学生は4年間で「優」を30個近く取得しなければならなかったのだ。
つまり、「満点」近い成績が必要だったのである。
僕の「優」、卒業してみれば、たったの4つ。
学生時代は「麻雀」と「バスケットボール」と「お酒」に明け暮れたと、面接で堂々と言い、採用されたのだから、ウチの会社も変だ。
やはり、「テレビ局」らしいとも言える。
大手銀行に入った同級生たちは「激務の銀行業務」が終わってから、よる帰宅して、アメリカでの「MBA取得留学を勝ち取る」為に猛勉強。
何年か、留学し、戻って来たら、銀行の激務の日々と再び向き合っていた。
「半沢直樹」などの著作がある池井戸潤の小説でもよく描かれているが、50歳過ぎて、銀行本体に残れるのはほんのひと握りの人。
あとは「取引先」への「天下り」などなど。
僕は、まず「勉強」が大嫌いだし、「人様のお金やモノをやり取りして、その利鞘で商売する」のが嫌だった。
それゆえ、「大手銀行」と「総合商社」は、1983年の「就活当時」、大人気だったが、アタマから興味が無かった。
たまたま、運もあったのか、テレビ局に入り、まもなく42年。
今、インターネット媒体の台頭で、「テレビ業界」も確かに揺れ動いていると思う。
もしかしたら、かつての「銀行」の様に、今後「合併」とか「吸収」とかが相次ぐかも知れない。
でも、今、映画の日本市場では圧倒的に「邦画」の興行成績が「洋画」に比べて良い。
この事を考えると、「日本的な物語性」を「コンテンツ(映画・ドラマ・バラエティー)」に織り込んでいけば、「日本発のエンタテインメント」の力は今後ますます強くなると思う。
これだけ、「日本のアニメ」や「日本の漫画」で「インバウンド」が激増しているのだから。
「日本のエンタテインメント」は世界中の人々を惹き付けるはず。
僕は「テレビの黄金期」に「テレビマン」として番組作りが出来た。
良い時期に「テレビ」に入り、良い時期に「テレビ」を卒業する。
でも、「日本のテレビ」はまだまだ捨てたもんじゃない。
「制限」が増えれば増えるほど、それをかい潜って番組を作っていくのは楽しい。
「テレビ」って、ホンマに面白いんだよね〜