カッパ・ノベルス
父も祖父も「本」が好きだった。
だから、実家は「本」で溢れていた。
その中でも、父が好んで読んでいたのは「カッパ・ノベルス」の松本清張作品。
「砂の器」「ゼロの焦点」「点と線」など、たくさんの松本清張の本の背表紙が本棚に並んでいた。
中学生になった僕はその中から「Dの複合」を無造作に取って、読み始めた。
その頃の僕にとって、父の読んでいる「カッパ・ノベルス」を読む事は「大人の階段」を登る様に思えたのだ。
「社会派推理小説」と呼ばれた「新しいジャンル」のミステリーを切り拓いた松本清張との初めての出会いだった。
その後、「カッパ・ノベルス」からは小松左京の「日本沈没」上下巻が発売され、爆発的に大ヒットする。
高校1年の時、大阪・南茨木の自宅近くの本屋でたまたま出会ったのが、赤川次郎が「カッパ・ノベルス」の為に書き下ろした「三毛猫ホームズシリーズ」第1作の「三毛猫ホームズの推理」。
この時、赤川次郎はまだ人気作家になる前だった。
人気作家になったのは、「セーラー服と機関銃」が角川映画によって、薬師丸ひろ子主演で映画化された時。
この本のあまりの面白さと今までの推理小説に無い斬新さに僕は途轍もない衝撃を受けた。
そして、少ないお小遣いをかき集めて、赤川次郎の既刊「幽霊列車」と「マリオネットの罠」の単行本を買い求めた。
赤川次郎の本は三冊しか出版されていなかった。
「赤川次郎ワールド」に浸るのは僕にとって至福の時だった。
次に僕が「カッパ・ノベルス」でハマったのが、西村京太郎の作品だ。
特に「夜行列車(ミッドナイトトレイン)殺人事件」は今でも、西村京太郎の「トラベル・ミステリー」の最高傑作だと思う。
残念ながら、本作は今「絶版」になっている。
もちろん、西村京太郎にはデビュー間もない頃の「ある朝、海に」「脱出」「殺しの双曲線」などの名作がある。
「斎藤栄」「清水一行」「三好徹」などなど、「カッパ・ノベルス」で刊行されていた作家はたくさんいた。
また、「エラリー・クィーン」の片割れ、「フレデリック・ダネイ」が、「カッパ・ノベルス」で、「日本傑作推理12選」(JAPANINES GOLDEN DOZEN)というアンソロジーを編纂した。
僕はこれも購入している。
「カッパ・ブックス」というのもあった。「小説」では無く、「実用書」。
その中でも大ベストセラーになったのが、塩月弥栄子の「冠婚葬祭入門」だ。
「カッパ・シリーズ」の光文社が出版していた書籍では無いが、大学を受験をする高校生の必読書が「森一郎」の「試験にでる英単語」(シケタン)、「試験にでる英熟語」(シケジュク)、旺文社が出していた「豆単(赤単)」だった。
「試験にでる英単語」の「いちばん最初の英単語」が、「intellect」だった事、悲しいかな(笑)今でも憶えている。
ウチの、岡山の親戚のお兄ちゃんが京都大学に合格した。
そのお兄ちゃんは旺文社の「大学受験ラジオ講座」(ラ講)を聴いて、予備校にも通わず、独学で「合格」を果たしたと僕に教えてくれた。
僕も「テキスト」を買って、毎日ラジオの前で勉強した。
「ラジオ関西(現在の「AM神戸」)」や「ラジオ短波」の放送時間は深夜であり、睡魔と闘いながら、聴いた記憶がある。
「大学受験ラジオ講座」のテキストの表紙は「大学の明るいキャンパスの芝生に仲よく座るカップル」だったりする事が多かった。
中高と「男子校」だった僕はこの「表紙」の様な状況に強い憧れを抱いていた。
父が「新聞記者」という激務の間の楽しみとして買い集めた「カッパ・ノベルス」。
今でも実家にあるのかなぁー❓
父は20年以上も前に亡くなり、今は86歳の母一人、実家に暮らしている。
かつて、母は「僕」と「妹」に一切の確認もしないで、二人の買い集めた「レコード」と「映画のパンフレット」を全て処分してしまった。
その中には、もう手に入れられないものも多い。
僕がその事を彼女に問いただすと、彼女は逆ギレした。
「私は『レコード』も『映画のパンフレット』も捨てていません‼️そんなに疑うのなら、この家の中、端から端まで探したらいいわ‼️」と。
その「レコード」を聴いた時の「記憶」、その「映画」を観た時の「感動」、そんなものがいっぱい詰まった「レコード」と「映画のパンフレット」。
「毒親モンスター」である「母」をこの事ひとつ取っても、僕は許せない。
素直に一言謝ればいいのに。
それだけがとっても残念だ。
「カッパ・ノベルス」から始まった話が大きく脱線した。
いつもの僕の癖。
御容赦頂きたい。