「赤線」と「青線」
昭和34年に施行された「売春防止法」で「廃止」されたのが、「赤線」「青線」である。
「赤線」とは「合法的」な「売春宿」。
「青線」とは「非合法」の「売春宿」のことだ。
「新宿ゴールデン街」は「売春防止法」後、「青線」を「飲み屋街」にしたもの。
僕は昔から「風俗」や「売春」に興味があった。
もちろん、欲望のままに僕がそれらを利用するのでは無く、「風俗」「売春」には「人間の機微」が必ず伴うからである。
昔から、小沢昭一や田中小実昌、野坂昭如など、作家にはこうした「様々な風俗」に強い関心を持って、文章として残している人が多い。
「今の日本という世の中」に「遊び」や「陰」が無い。いや、無くそうと必死になっている。
しかし、人間が存在している限り、「最古の職業」と言われる「売春」は無くならないのである。
そこに関わる人々も立派な人間であり、「生きる権利」がある。
日蓮宗の開祖・親鸞は言った。
「人間は欲望に塗れ、堕落し続けて、底辺に落ちた時、悟りを開けるのである」と。
実は高度成長期の日本で大ヒットした「スーダラ節」の歌詞も親鸞の言う言葉の意味を歌っている。
「スーダラ節」を歌った植木等がその歌詞を初めて見た時、歌うのを躊躇った。
そして、植木等は僧侶である親父の前でアカペラで「スーダラ節」を歌ったのである。
植木自身は、厳格な親父に叱責されるだろうと怖れをなしていたが、親父は「親鸞の言葉」を引用して、大ヒットするから歌う様にと上機嫌で勧めたと植木本人がインタビューで言っている。
事ほど左様に、「人間は欲望に弱い生き物」。
サマーセット・モームの「雨」という小説がある。
乗っていた船が座礁して、無人島に流れ着いた数人の人々。
その中に「売春婦」と「牧師」がいた。
「牧師」は降り続く雨、洞窟の中で「売春婦」を諭そうと試みる。
もう「売春」だけはするなと。
しかし、雨は何日も止まず、「牧師」は「売春婦」の「カラダ」の魅力に惹かれて行き、ついには「禁断の行為」に及ぶのである。
長い文章になったが、「赤線」「青線」に僕が惹かれるのはこうした理由だ。
「男と女」が惹かれ合うのは当たり前の事。
そこに切なさが漂うのが好きで堪らない。
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