
桜田淳子
桜田淳子が好きだった。今でも好きである。
山口百恵は「色気」があり過ぎて、中学生の僕には受け入れられなかった。
僕は中学の頃、バスケットボール部に入っていた。
六甲中学。中1B組。担当はアメリカ人のフリン先生。ここから、フリン先生との長い付き合いが始まる。
僕はフリン先生に中高6年間、「英語」を習った。
フリン先生が中1の担当で、バスケットボール部の顧問だったから、バスケ部に入部した。
「文系」ぽい僕なのに。
六甲35期はフリン先生のおかげもあって、バスケ部のメンバーは30人近くいた。当時から身長の高かった僕だが、運動神経が全く無く、いつもいつも補欠だった。
レギュラーになろうなんて向上心は当時の僕には全くと言っていいほど無かった。
ある時、バスケの試合で、神戸の鈴蘭台に行った。
試合後、現地解散。
僕は鈴蘭台の駅の近くの本屋に入った。毎日、本屋に行くのが楽しみだったのだ。今でもそうだが。
そこで見つけた。
桜田淳子の写真集である。
インターネットもスマホも無い1970年代。ダウンロードして観る「電子写真集」も無かった。
少し話は脱線するが、「男はエロいものを手に入れる為には最大限の努力をする」。蓋し、名言である。
だから、今の僕は好みの「グラビアアイドル」を見つけると、なんとかして、スマホに「写真集」をダウンロードしようとする。
こうして、男たちは「スマホの使い方」も「エロ画像・動画のダウンロードの下から仕方」も憶えるのである。
話は、鈴蘭台の本屋に戻る。
「桜田淳子の写真集」は、レジの横に積み上げられていた。
レジの前を不自然に見えない様に往復するうぶな僕。
でも、欲しい‼️
買ったは買ったで、ウチの母親に見つかったら、五月蝿い。どうしよう。
でも、あの夏の日、僕は勇気を出して、「桜田淳子の写真集」を一冊買った。
もうそれは実家にも残っていないと思うけど。
その後、桜田淳子は「統一教会」で集団結婚式を挙げて、結婚した。
噂レベルの話だが、沢田研二こと、ジュリーに六甲山で別れを告げられ、「失恋の悲しみ」を抱えて、「統一教会」に入信したのでは無いかとも言われている。
いずれにしても、桜田淳子の結婚相手は六甲高校の一期上の34期の東さん。
35期の僕が桜田淳子と結婚していたら、どんな家庭を築いていたか、妄想する日々である。
家のリビング、桜田淳子本人の生歌で「わたしの青い鳥」を聴いてみたかったなぁー
子供が生まれたら、どっちに似たんだろう⁉️
男は「女への憧れ」を長い間、引き摺る生き物なのである。