「リバーズ・エッジ」と「フェイブルマンズ」
祝日の今日、Amazonプライムビデオで観たかった映画2本をついに観た。
1本目は行定勲監督の「リバーズ・エッジ」。
主演は二階堂ふみ。吉沢亮、上杉柊平、「虎に翼」の男装の弁護士役で人気爆発中の土居志央梨、森川葵、SUMIREなどが出演。
原作は岡崎京子の漫画。
「大きな欠落」をたくさん抱えた「高校生たち」の群像劇だ。
「リバーズ・エッジ」とは「工場排水」とか「工場から出続ける噴煙」という「汚れた川」の河口付近の「川沿い」という意味。
言い換えれば、「汚れ切った人間たちの営み」なのだ。
正直言うと、二階堂ふみと土居志央梨の「激しい濡れ場」がある映画というので観たのだが、ストーリー的に必要不可欠な「濡れ場」だったので、「エンタテインメント映画」として存分に楽しめた。
行定勲監督はメジャーデビュー作の「GO」から観ているが、才能が溢れていて、安心して観ていられる。
これは「家族の物語」である。
つまり、「ホームドラマ」である。
めちゃくちゃ面白い‼️
2本目はスティーブン・スピルバーグ監督の2022年の自伝的作品「フェイブルマンズ」である。
「電気技師」の父親と「ピアノが巧い」母親、ユダヤ系アメリカ人一家に生まれた、スティーブン・スピルバーグと思われる主人公が、父親の買ってくれた「8mmビデオ」で映画撮影に夢中になる。
父親の勤める会社が変わった事で、カリフォルニアに引越しした一家。
その住宅街に、「ユダヤ人家族」は彼らだけ。
高校生になった主人公は高校で猛烈な「ユダヤ人差別」を受ける事になる。
主人公は「キリスト教徒の同級生」に「お前たち、ユダヤ人は1000年前にイエス・キリストを殺した‼️その事を謝れ‼️」と言われる。
それに対して、主人公は「僕は1000歳じゃないから、謝らない‼️」と言い張り、余計にいじめられる事に。
1950年代の「アメリカ社会」での事。舞台の高校には「黒人」の姿は一切無い。
この映画は「家族」を取るか、「芸術」を取るか、というのが「テーマ」。
ついに、ハリウッドの助監督に採用された主人公の青年はプロデューサーからある人物に会う様に突然言われる。
彼がとてもとても緊張して待っていると、部屋に現れた人物はあの「西部劇の巨匠」、ジョン・フォード監督だった。
ジョン・フォードはスティーブン・スピルバーグに言う。
「地平線は『上』にあるか、『下』にあるかだ。『真ん中』にあるのは凡庸でありえない。その事を憶えておけ‼️」という。
それに対して、スピルバーグが感謝の念を告げると、ジョン・フォードは「my pleasure‼️」(どう致しまして‼️)と葉巻をふかしながら、笑顔で答えるのだ。
このジョン・フォードを映画監督のデヴィット・リンチが演じている。
この映画も「あるユダヤ人一家」を描いた「家族のドラマ」、つまり「ホームドラマ」だ。
「子供」は常に「父親」や「母親」の言動を事つぶさに見つめている。
そして、「親」の方も「子供」に様々なことを教えられているのである。
「親」がいるから「子供」がいる。「子供」がいるから「親」がいる。
そんな「台詞」がどちらの映画にも至る所に散りばめられている。
「インターネット」が出て来て、「人間社会」に「情報」が溢れた。
今、「インターネット」「SNS」が全くコントロール出来なくなって来ている。
だから、今こそ「家族」という「枠組み」を「日本人」も「アメリカ人」も欲しているのではないだろうか❓
もしかすると、世界中の国々の人々も。
良い映画を観たもんだ‼️