1982年の卒業旅行⑥フィレンツェ〜ピサ
1982年卒業旅行 6.
フィレンツェ・ピサ・・・イタリア
1982.3.1.
8:00、起床(渋谷のモーニングコール)。
8:30、朝食。
9:00ホテル出発。バスにて、ドゥオーモへ。
メヂチ家の廟、ドゥオーモ観て、10:00過ぎ駅へ行き、ピサまでの往復切符(4000リラ)買い、チンザノ飲み、構内の写真撮る。
植出、渋谷、トイレ。列車の運転手に運転席に乗せてくれと頼むがダメ。
ローマの地下鉄では、僕と植出がいちばん前で見ていると。運転手が運転席に入れてくれ、運転中に三人で記念撮影したのに・・・
ピサ行きの列車はフィレンツェ・セントラル駅の1番線より定刻10:58より遅れる事10分、11:0。8発車。(もちろん発車ベルなどない)
遅れの原因は、ピサから来た列車が遅れたので、機関車が使えなくなってしまった事。
2等は8人がけのコンパートメント。
メンバーは植出、小野、生田、先生、渋谷、僕、松山、手塚。
手塚、渋谷、植出、僕は4人の会のメンバー。
※この日の夜、フィレンツェのホテルで結成された。
列車のトイレは広くてきれい。連結器は鎖で、緩衝器付だ。乗り心地良し。ピサに7~8遅れで到着。駅構内で、アラレ、アカネ、東大と、駅前で渡辺おばちゃんとアボに会う。バスNo.1にてピサの斜塔へ。
ピサの斜塔は思ってたより傾いている。(入場料1500リラ・・・ピサの斜塔はこの後、傾きがひどくなった為、傾かない工事をした)
バチカン以来、よくらせん階段を登らされる。
屋上以外、柵無し。植出、渋谷、気分を悪くする。落ちる人もいるそうだ。
日本なら、どこもかしこも柵なのだろうが、イタリアは自己責任を重んじるお国柄なのだろう。
ピザとワインの昼食をバス停前の売店で。ワイン残す。ピザ3つ食う。
バスにて駅に戻り、14:45の列車でフィレンツェへ。渡辺おばちゃんも一緒の列車。僕らと同席するのを嫌がる。先生がいるかららしい。
フィレンツェに着き、Valentino、Gucciと回る。
コバ、アネゴらに会う。先生、そっちに付いていく。
僕ら、スポーツ店でFILA見つけ、手塚と僕、ペアルック。値段は6000円位。ちょっと、色が渋かったかなぁ。渋谷が考えていたものは品切れ。
ドゥオーモの横でコバ、アネゴ、先生に会う。
コバ「助かったぁ!!」
ホテルへ帰り、FILAを生田、小野に見せに行く。生田いつも通りホメてくれる。
ナポリへのオプショナルツアー以来、植出・今村、生田・小野の部屋割りは変わっていない。
自室に戻ろうとすると、アラレ、アカネの声がするではないか! 声の聞こえたドアを開ける。
東大コンビにアラレ、アカネ。
お邪魔虫という感じ。でも負けずにFILAを見せまくり、居座る。タケチャンマン、帰ると言い出し、僕も帰る。笑われたかな? 人の事など気にしない様にしよう。
部屋に帰り、改めて植出と2人で中央大(渋谷、手塚)の部屋へ。
いろいろ、くっついたウワサする。川久保・薄葉⇔生田・小野、東大2人⇔アラレ・アカネ等。
そして、僕ら4人は結局余る。
だから、「4人の会」を作ろうと・・・。ウィーンの森を女の子の肩を抱いて歩きたかったなどとブツブツ言う。
※渋谷も植出も彼女がいた植出なんか、旅行中、何回彼女から手紙もらっていた事か・・・アホくさ!)
部屋へ帰り、入浴後、就寝。