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「男1人女2人」と「男2人女1人」


恋する女(イメージ)
恋する女(イメージ)
恋する女(イメージ)

「女」は「惚れている男」「好きになった男」を中心に行動する。

男2人女1人(イメージ)
男2人女1人(イメージ)
男2人女1人(イメージ)
男2人女1人(イメージ)



どういう事かというと、「男2人、女1人」で「ごはん食べたり」「ドライブしたり」する場合、「女」は意識してか無意識かは分からないが、「好きな男」の気を惹こうとし、チャンスがあれば、「好きな男」と喋ろうと思う。

「好きでない男」は冷徹にほって置かれる訳である。

そこに「女の気遣い」は存在しない。

男1人女2人(イメージ)
男1人女2人(イメージ)
男1人女2人(イメージ)
男1人女2人(イメージ)


「男1人女2人」の場合はどうだろう。

「男」がどちらかの「女」に「惚れたり」「好きだったり」しても、「男」はその事を隠し通すだろう。

何故なら、「惚れていない方の女」「好きでない方の女」の気持ちを傷付けるからである。

「2人の女同士」には「女の友情」というのがあり、「男」はその「琴線」に触れるのも怖しいのだ。

僕も何度も「男2人女1人」という状況に陥った事がある。

本当は「男2人」だけで会いたかったのに。

「女」が何故か割り込んで来る。

そんな時、「男同士」では出来る話も出来なくなり、「どこか角が取れた話」に終始してしまう。

だが、お店を出て、「男」を見上げる「女」の横顔は恋する様な喜びに満ち満ちていた。

会計は「男2人」の折半。

なんか理不尽さを感じる、いつも。

「Love is Blind」

というけれど、「女」は「恋」や「愛」をエネルギーにして生きているのではないかと感じる。

「男同士」で話したい事もあるはずだから、遠慮しておこうという「想像力」はきっと持てないのだろうなぁ〜と。

「女」が「男」の心を傷つけるのは良くて、「男」が「女」の心を傷つけるのは最低とされる「社会」の通念。

疑問に思うのは僕だけだろうか❓

「傲慢と善良」

辻村深月のベストセラー
「傲慢と善良」



「男」が本来持っている「照れ臭さ」「遠慮深さ」「謙虚さ」が自分は好きなんだとつくづく思った今日この頃。

※個人の感想です(笑)

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