「11PM」全国村長さん歌祭り
11PMで、「全国村長さん歌祭り」という企画のディレクターをやった。
全国5ヶ所の村へ行って、村のいちばん誇れる場所で村長さんに十八番を歌ってもらう。
15人位の村人と一緒にである。伴奏はアコーディオン一台。
北海道・留寿都村、岩手県沢内村、新潟県弥彦村、大阪府千早赤阪村、香川県魚島村である。
弥彦村はテレビ新潟さんにお願いした。
リポートしてくれたのは、テレビ新潟の峰剛一アナウンサー。
村長さんと村人達全員に、アコーディオンの音が聞こえる様に、スピーカーが必要である。
この現場に重たいスピーカーを持って行く作業が困難を極めた。
まずは、テレビ岩手の関口伸アナウンサーとアコーディオンのおじさんを連れて、岩手県・沢内村へ。
フクロウの鳴き真似が上手い、僧侶でもある村長さんが迎えてくれる。
村中のいろんな名所を取材して、最後に降り積もる深い雪の中、寺の境内で、村長さんと村人達に歌ってもらった。
カメラが一台なので、カメラ位置を変えて、合計二回、歌ってもらった。
北海道・留寿都村。ここへは、札幌テレビの権田裕子アナと向かった。
ジャガイモの倉庫や指圧で有名な浪越徳治郎さん関連の施設を取材。
村長さんは「子連れ狼」の姿。乳母車を押して、留寿都が誇るスキーリゾートに村人達と登場。
「子連れ狼」の主題歌を熱唱した。
大阪府唯一の村・千早赤阪村。読売テレビの斎藤敬アナウンサーとアコーディオンのおじさんを連れて、金剛山の頂上にロープウェイで上る。
山頂は氷点下の寒さだった。スピーカーのセッティングを待って、村長さん、村人達、アコーディオン、アナウンサー、極寒で強風の中、みんな手をこすりながら、体を振るわせながら、必死で歌った。
香川県魚島村は、離島の村だ。
フェリーを2つ乗り継がないと行けない。
島の素朴なケーブルTVの穴蔵千代美アナウンサーが「魚島」をリポート。
瀬戸内海気候の温暖な島での村長さんの歌は「村のケーブルTV」を通して、村内に放送して、村人全員と歌ってもらった。
すべての取材が終わり、編集に入ったのだが、VTRが多すぎて、いつまで経っても終わらない。
「木曜イレブン」の西村良雄プロデューサー(「鳥人間コンテスト」のディレクターを長年担当された)の配慮で、編集プロダクションで編集をやってもらえる事になった。
僕が編集している横で、プロの編集マンも別のVTRを並行して編集するのだ。
生本番当日。再生VTRも何とか間に合い、取材して下さったアナウンサーも全国から大阪・よみうりテレビに5人全員、スタジオに集結。
渾身のVTRが次々と再生される。
VTRが長すぎて、フロア・ディレクターを担当してくれた先輩ディレクターの白岩久弥さんが「スタジオの段取り」を次々と巧みにカットしていく。
白岩さんにしか出来ない作業。
生本番は無事終わった。
僕にとって、いちばんエネルギーを使った「11PM」だった。
そして、いちばん思い出に残っている「11PM」でもあった。
1983年7月から「11PM」に「AD」として付き、1985年3月21日木曜日、「手塚治虫特集」でディレクター・デビューした。
僕は毎週、火曜日と木曜日生放送の「11PM」が大好きだった。
「大阪イレブン」は「大阪の文化」だったと思う。
そして、それが僕にとって最後の「11PM」。
1986年1月の事だった。
この後、僕は「ドラマ班」に異動して、「朝の連続ドラマ」第1作の「花いちばん」の「AP(アシスタント・プロデューサー)」を務める事になる。
「11PM」を離れて、40年近くになるが、未だに忘れないし、「11PM」で踠きながら過ごした日々は僕にとって、貴重な経験になり、大きな財産になった。