雨のブエノスアイレス
僕はタンゴの名曲「ラ・カンパルシータ」を口ずさんでいた。
南米・アルゼンチンの首都、ブエノスアイレス。ホテルから「タンゴバー」に行くタクシーの車内。外は土砂降り。タクシー運転手さんが「オー、ラ・カンパルシータ❣️」と叫び意気投合した。
「タンゴバー」の座席は最後方。ツアーグループが優先的に前方の座席に案内され、僕の様な「一人旅」は舞台からいちばん離れた場所に座らされる。
開演直前、一人の東洋人が駆け込んで来て、僕の隣に座った。
ショーが始まる。アコーディオン演奏者が四人出て来て競って演奏したり、男女のカップルがタンゴに合わせて踊ったり、「コンドルが飛んでいく」の熱唱があったり。
午後十時半から始まったショーは二時間あまり。その時間はアッという間で、地球の反対側のこの地で僕はショーを堪能していた。
ショーがすべて終わり、観光客が次々と席を立つ中、隣のおじさんが叫ぶ様に「女買いに行こうぜ!」と右手に100ドル札を大量に握りしめ、日本語でいきなり声をかけて来た。
よくよく訊くと、大阪・淡路に住んでいた事があり、今はニューヨークに住んでいる韓国人。ビジネスマンとして、アルゼンチン・ブエノスアイレスには仕事でよく来ているそうだ。スペイン語もペラペラ。
僕は、「おじさんの言った事」には全く興味が無かったが、「このおじさんと土砂降りのブエノスアイレスで一夜を過ごすのはそれはそれで楽しそうだ」と思った。好奇心。とりあえず彼に付いて行く事にした。
一軒目。彼は店内で白人の娼婦を口説いていたが、こちらが黄色人種ゆえ拒否されたらしい。
二軒目の交渉も上手くいかず、三軒目のキャバレークラブに向かう。移動のタクシー代もすべて彼が支払ってくれる。
ブエノスアイレスのキャバレークラブは日本のそれと違って、中央に舞台があり、そこで女の子がショーをやる。店内はタバコの煙で少しモヤっていた。
僕の横に付いた女の子は、彼によると、ウルグアイから出稼ぎに来ている子。彼女はスペイン語しか話せないし、僕は英語しか話せない。コミュニケーションを取る術も無く、時間ばかりが過ぎていった。
彼からの説明。気に入った女の子がいたら、泊まっているホテル名と部屋番号を伝えると、閉店後、来てくれるとの事。一泊100ドル(日本円で15000円位か)。
午前三時過ぎ、彼は女の子と一緒にタクシーに乗り込み、ホテルへ向かった。飲み代も全て彼が払ってくれた。
僕はというと、かなり泥酔ひていた。彼と一緒にブエノスアイレスの街をあっちこっち動きまわったので、自分が今どこにいるのかさえ分からない。雨は上がっていて、少し湿気を含んだ風が吹いて来る。寒い。
日本のように流しのタクシーがたくさん走っている訳もなく、30分近く道路の端で酔っ払ってよろよろ佇んでいた。
やっと来たタクシーに乗り、ホテルの名前が「ランカスターホテル」というのを憶えていたので、運転手に告げ、座席にへたり込む。
ホテルの前に着いたが、ホテルの大きな扉が閉まっている。「開けてくれ!」と日本語で叫ぶ。こちらも必死。何度も扉を叩いていると、やっと扉を開けてくれた。
まだ、酔いが抜けていない。なのに、「スクランブルエッグ」とか「ソーセージ」とか「コーヒー」とか「持って来てもらう時間」を半分無意識で「ルームサービス」の用紙に書き込み、ドアの外ノブに吊るして置いた。
翌日が日本への帰国の日。僕は「ルームサービス」に起こしてもらい、飛行機に間に合った。
ブエノスアイレスからブラジルのリオデジャネイロまで6時間。リオからアメリカ・ロサンゼルスを経由して、成田国際空港まで24時間。
忘れられないブエノスアイレスの夜になった。30年以上前の話。