てめえ、殺すぞ‼️
後輩のIプロデューサーに「新宿二丁目のゲイバー」で怒鳴る様に言われた。
彼の唾が僕の顔に飛び散った。
彼も酔っていたのだろう、その時。
しかし、僕は彼の言葉を一生忘れない。
脚本家・遊川和彦さんが「企画・原案」で、女優・松下由樹さん主演の連続ドラマは「彼の企画」だった。
二人を連れて来たのも、彼と日本テレビエンタープライズ(現・日テレアックスオン)の大森美孝プロデューサーのおかげ。
僕がプロデューサーとして、そのドラマの担当になった時、ほぼ全ては決まっていた。
Iプロデューサーは喜んだ。僕が彼と共同でプロデューサーをする事を。
その時まで、ドラマ枠はYチーフ・プロデューサーが全てを仕切っていた。Yチーフ・プロデューサーの意向は絶対で、その意見に反対する事はどのプロデューサーも出来なかった。
Iプロデューサーもプロデューサーデビュー作をYさんの下でやり、自分の思い通りに出来なかった悔しさが強く残っていたのだ。
だから、「優しい人柄と言われる僕」の下で、思いっきり、自分らしく、「ドラマ」を作りたかったのである。
僕も「やりたい様にやったらええんちゃう」と彼に言った。
脚本家・遊川和彦さんは大阪で「朝の連続ドラマ」をやっていた1980年代から「予備校ブギ」や「ADブギ」をテレビで観ていて、僕にとって「憧れの存在」だった。
西麻布の「高級中華料理店」で、初めて会う遊川和彦さんを待っている時、僕はどれほど緊張した事か。
遊川和彦さんも最初は、「僕の人柄」を知りたかった様で、「なかなか手探りな会話」のやり取りになった事を憶えている。
今では遊川和彦さんとは20年以上、ごはんを食べて、「好きな映画」や「面白いドラマ」の話を長時間にわたってする仲だが。
ドラマの「クランク・イン」3週間前、「事件」は起きた。
6月1日の「定期人事異動」で、Iプロデューサーが「東京制作」から「東京営業」に突然異動になったのだ。
朝イチで会社に来ていた僕は「人事異動の書類」をプリントアウトし、ボンヤリと眺めていた。
Iプロデューサー、彼はこれを見てどんな反応をするのだろうかと。
11時頃、彼は出社。
「人事異動」の事を知ると、カバンを思いっきり、自分の椅子に叩きつけた。怒りのやり場が無い様に見えた。
たくさんの「ドラマの企画書」を入社して「大阪営業」にいた時代から、「東京のドラマ班」に送っていたIプロデューサー。
ようやく、第2作のプロデュース作品を作れる前に「異動」になった。あまりにも悔しすぎる。
「東京制作部長」と会議室に入り、2人っきりで話し合った彼。
どうも、部長には何も言えなかった様子。サラリーマンの「性」かも知れない。
サラリーマンをやって行くなら、どこの部署に回されても仕方がない。
そして、そして、彼は僕を会議室に呼んだ。
「遊川和彦さんも松下由樹さんも僕がキャスティングしたんです。その僕が『人事異動』になれば、2人とも、このドラマ降りるかも知れませんよ!そんな事になってもいいんですか❓さあ、どうするんですか❓」
彼は僕にそう言って詰め寄った。
つまり、「脅し」をかけたのだった。
彼は「強い相手」には抵抗出来ず、「弱い相手」である僕を徹底的に攻撃して来た。
そして、その夜、彼が僕に吐いた言葉が「表題」の一言だ。
その言葉を聞いた時、
「こんな言葉を吐く奴にはドラマを作る資格は無い」
と僕は思った。
しかし、「クランク・イン」が現実に迫っている以上、「リスクヘッジ」はしておかなければならない、僕は。
翌日、全ての作業を投げ出して、僕は大阪の「制作局長」の自宅をアポ無しで直撃した。
幸いにも、「制作局長」と御自宅近くの喫茶店で「ドラマの状況」を会話出来た。
「クランク・イン」すら危ないと。その危機感は「制作局長」に直に伝わった。
「制作局長」の根回しもあり、「本編にプロデューサーとして、名前を載せる事」「『営業の仕事に従事する時間』以外で、『脚本打ち合わせ』『編集チェック』『MA(音楽入れ作業)』に立ち会うのを許容する事」がIプロデューサーに認められた。
今ではあり得ない、20年以上前の話だ。
幸いな事に、主演の松下由樹さんも企画・原案の遊川和彦さんも、ドラマを降板する事も無く、ドラマは秋田ロケから無事クランク・インした。
その後、Iプロデューサーは「大阪への人事異動」を機に、ウチのテレビ局を辞めて、制作会社に転職。
彼はあくまでも、「ドラマ」をやり続けたかったのである。
それはそれで「良い選択」だと思った。
現在、彼はその制作会社で、「ドラマ統括プロデューサー」の仕事をしていて、大活躍。
映画の監督も既に2本撮っている。
ただ、時々、彼のプロデュースしたドラマを観るが、僕の個人的にな意見では、
「彼の作ったドラマは『ドラマ(劇的)』では無い」
と思う。
あんなに「ドラマ」が好きなのであれば、もっといろんな「映画」や「ドラマ」を観て、勉強すれば良いのに。
「勉強した事」はそのプロデューサーが作る「ドラマ」に必ず表われる。
また、「テレビドラマ」の「特性」として、「その時代の空気を読む事」が何より大切だ。
それが、あの脚本家・山田太一さんが「テレビドラマの世界」で切り拓いた「道筋」なのである。
その事が彼には出来ない。
昨年春、久しぶりに「昔のドラマ仲間」と食事をする機会があり、彼もその中にいた。
彼の「偉いプロデューサーぶり」をビンビンと感じた。
彼は「ドラマをプロデュースしたい」のでは無く、「プロデューサーである自分自身に酔っている」のでは無いかと僕は確信した。
「てめえ、殺すぞ‼️」
あんな事を言えるのは、彼が持つ「人を上から見る性格」なのだろう。
全て、ここに僕が書いた事は「自分が自分の目線で感じた主観的な事」であり、「客観的な事実」と相違する事もある事を最後に書き添えて、この文章を終わろうと思う。
やはり、人は「発言」をする時、しっかりと考えなければならない。
その「発言」が「他人の心」を傷付け、一生その人の中に「遺り続ける事」もあるのだから。