「不適切にもほどがある」と「アイのない恋人たち」

「TVer」で、1996年の連続ドラマ「白線流し」を観て、心が洗われた。

酒井美紀の奇跡的な「可愛さ」が今でも僕たち視聴者の心を打つ。

それぞれの登場人物のキャラクターが「繊細に」描かれている。

今、放送中の連続ドラマ「アイのない恋人たち」。これが全く面白くない。

「30代の悩みを抱えた男女7人(アイが無い・love.I.eye)」が織りなす「普通の人々の生き様」を切り取ろうとしているのだが、「煮え切らない7人」にしか見えない。

30代になって、「処女」だとか「童貞」だとか、それに「強いコンプレックス」を持っている設定がもはや「時代遅れ」も甚だしい。

第五話で描かれた「結婚式のドタキャン事件」。想像されうる展開だし、発想が安易だと強く感じた。

このドラマは一体、何を訴えたいのだろうか?

今期、いちばん面白いのはなんと言っても、阿部サダヲ主演、宮藤官九郎脚本、磯山晶プロデュースの「不適切にもほどがある」。

「昭和」と「令和」のギャップを巧く使って、今
視聴者が望んでいる「明るいコメディー」に仕上げている。

「コンプライアンス」や「既読スルー」などの「令和あるある」を巧く挟みこみ、「昭和」の「短所」もちゃんと描き続ける。

ちゃんと、「今の社会」をリサーチした上で、脚本に反映させている。

この、先が見えない「沈んだ社会」、「閉塞的な社会」で求められているのは、「コメディー」だと思うのである。

「テレビドラマ」は、「その時代、その時代」を反映して、「社会の問題点」を「声高では無く」訴えかけるもの。

その先駆者が、昨年末亡くなられた脚本家・山田太一なのだ。

先日、山田太一脚本の、40年前の連続ドラマ「想い出づくり。」の再放送を観て、強い衝撃を受けた。それは今でも通用するものだと感じている。

「アイのない恋人たち」には、そんな「時代性」が微塵も感じられないのである。残念だけど。

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