ナイロビ in ケニア
ケニア・・・アフリカ
若い時に世界の遠くへ行っておこうと思った。ただ、それだけ。
インド、ブラジル、アルゼンチンと行って、アフリカに行きたくなった。
いろいろ人に聞いて、アフリカの情報を集めた。
団体のツアーに参加するのは止めようと思った。かと言って、完全に個人で「サバンナ」に行くのは「予約」を取っていないと怖い。
私が選んだのは、アフリカ専門の旅行代理店「道祖伸」に「航空機」「ホテル」「現地での移動」をパッケージしてもらう事だった。
成田からまずは香港に飛ぶ。航空会社は「パキスタン国際航空」である。
「エジプト航空」と共に南回りのヨーロッパ行きのドサ周りの「買い出し列車」とも呼ばれる「格安航空会社」である。
アフリカ・ケニアに行くには、日本からヨーロッパに飛び、そこから南下するルートが最短で便利だが、料金が高い。
なので・・・
日本からアフリカ・ケニアに行くには、大きく二つのルートがある。
「パキスタン国際航空」の香港・バンコク・カラチ。
カラチで飛行機を乗り換え、アブダビ・ナイロビ。
もう一つは「エア・インディア」のニューデリー乗り換えのナイロビ。
「パキスタン国際航空」の機体の凄かったのは、着陸する度に座席上、非常時に落ちてくるはずの酸素呼吸器がガラガラと落ちてきた事。
そして、倒したリクライニングが元に戻らない事だった。
なおかつ、香港からの乗客を乗せ過ぎ、CAさんの席にも乗客が座り、CAさんは立って離陸した。
「パキスタン国際航空」のパイロットは操縦技術が凄いと言われる。
あんなに古い機材を上手く操っているからだ。
カラチ空港では不測の事態が起こった。
「爆弾に使われる危険がある。今すぐ、乾電池を全て出しなさい。没収します」
大韓航空機爆破事件の余波がこんなところに‼️
カメラ等に使われている電池も全ても没収された。
カラチを発ち、アブダビに向かう。
砂漠の中にあるアブダビ空港。「パキスタン国際航空」のB737は二回ジャンプし、無事アブダビ空港に降り立った。
日本人乗客はアブダビ空港の売店に向けてみんな走る。
ビールなどアルコール飲料を飲む為だ。
「機内」では、「パキスタン」が厳しいイスラム教の為、アルコールが一切出なかった。
ナイロビ空港で、没収された「電池」が山の様になって、返却された。
誰のものか、全く見当が付かない。適当に電池を拾いあげる。
ナイロビでは、「道祖伸」のスタッフに迎えられ、ホテルへ。
添乗員やガイドは付いていないので、移動のみだが、とても助かる。
このケニア人スタッフが「サザンオールスターズ」が好きで、翌日、サザンの話で盛り上がった。
ホテルはプールもついていてとても豪華。
部屋も巨大なダブルベッドで居心地はすこぶるいい。
日本からの長旅だったので、赤川次郎や西村京太郎の小説を読みながら、ゴロゴロする。
ナイロビに来て、豪華なホテルの部屋で好きな日本の小説を読むという限りなく想像すら出来ない贅沢に浸る。
まだ昼なので、外に出てみる事にする。ホテルのそばには大きな公園。
ガイド・ブックによると、この公園は夜、歩いていると「木の上から強盗が降ってきて、身ぐるみ剥がれる」との事。
公園を歩いていると、日本語で話しかけられた。若い男性だ。
男性曰く、「日本の近畿大学にいた事があって、故郷ウガンダに戻った。
しかし、ウガンダで戦争が起き、命からがらケニアに逃げて来た。近畿大学に戻りたい。少しでいいからお金を貸してくれ」と。
要は「金を貸せ」という事である。
彼の話を最後まで聞いたが、金の無心なので、断って、ナイロビの中心部へ向かう。
ナイロビの治安は昼でもあまり良くなさそうだ。
先程の男性とそのグループらしき男たちがつけて来ていたので、慌ててタクシーでホテルに避難。
夕ごはんの時間に改めてタクシーを呼び、中心部の日本料理店へ。
料理を頼んで飲み始める。
運ばれて来たウィスキーの水割り。
キューブ・アイスの中にハエが凍っていた。
さすがに店長を呼んでもらう。
私「これなんですがねえ・・・」
店長「凍った時に入ったんだと思いますよ」
そんなことは訊いてねえよ!と心の中で毒づいた。
でも、日本からはるばるやってきて、このやりとりをできた事がオイシイ事かもしれなかった。
二軒目は日本料理店の隣のバー。
すごく混んでいて、カウンターでダーク・ダックス状態。
黒人の女性が片言の英語で話しかけてくる。どうも、娼婦の様だ。
家に来いと言っている。よくよく話を聞くと、子供を育てる為に娼婦をやっているらしい。
貧しさが起こす悲劇と一言では言えぬところがある。
しかし、頑なに断る。
複雑な思いを感じながら、タクシーでホテルへ戻る。
私は一介の旅行者だ。
翌朝、道祖伸の手配した車が迎えに来て、アンボセリ国立公園へ向かう。
ナイロビを出て15分、未舗装の道を猛スピードで走っていると、きりんの群れを発見。興奮。アフリカに来た事を実感。
それから、象・インパラなどを見ながら、キリマンジャロを望むアンボセリ国立公園へと向かった。
(1987年)