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「アンコンビニエンス」が大切‼️
「マラソン」は何の為に42.195キロという途轍もなく長い距離を走るんだろう❓
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「山」に人々は何故登るんだろう。あんなにシンドイのに。
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もちろん「記録」や「達成感」もあるかも知れない。
でも、でも、「渇き」ではないか❓
「マラソン」にゴールして飲むビールや水の美味しさ。
「山」の頂きにたどり着いて食べるおにぎりやお菓子の美味しさ。
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現代日本社会、どこに行っても「コンビニエンスストア(コンビニ)」があり、何でもいつでも簡単に手に入る。
今の日本人、それくらいの「経済力」も持っているはず。
その事は一見素晴らしい事の様に我々は思ってしまうのだが、果たしてそうだろうか❓
かつて「コンビニ」など無かった時代、夜中に酒を無性に飲みたくなっても、家に無ければ、朝まで待って、酒屋に買いに走らなければならなかった。
食べ物も然り。24時間営業の「スーパー」「吉野家」「マクドナルド」などなど、そんなものは無かった。
朝まで空腹を我慢するか、家にある食材でちょこちょこっと簡単な料理を作って食べていた。
「飢餓感」があった。「飢餓感」があるから、その先に「充足感」があったはずだ。
地球上、「飢餓」に苦しんでいる人々が数えきれないくらいたくさん生きている。
こんなに「モノを消費し続けて生活している事」が正しいのだろうか❓
今、都会から地方に移住する人が増えている。
彼らは「アンコンビニエンス(不便さ)」を実は求めているのでは❓
「アンコンビニエンス」だからこそ、隣近所の「お裾分け」があり、「人と人とのコミュニケーション」が生まれやすいと思う。
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何故、こんな事を考えたかというと、現在「BSフジ」で毎週土曜日深夜25:00から放送されている連続ドラマ「私たちの東京ストーリー」を観て、感動し、感じた事が多々あったから。
1980年代の東京。バブルの末期、日本。
たくさんの中国人留学生が多額のお金を支払って、日本に勉強に来た。
彼らは「日本語学校」に通い、「学費の安い国立大学」を目指す。
しかし、生活費や授業料、中国にいる家族のための仕送りなどを学校に行く間の寸暇を惜しんでアルバイトし、質素なアパートでギリギリの暮らしをしている。
様々な中国人留学生の生き様をドラマは描写する。
半年に一度、日本人の保証人が必要な「ビザの更新」。
中国人留学生の保証人になる人はなかなか見つからず、「ビザの更新」が出来なければ、彼らは「違法就労者」になって、日本の警察から追われ、逮捕されれば、中国へ「強制送還」される。
主人公の「アイリス・ウー」演じる「林凛(リンリン)」21歳は、幾つもの「壁」にぶつかり、時には悲嘆にくれて、大粒の涙を大きな瞳から流し、時には深海の底の様に深く、解決の目処も立たないかに見える「悩み」のど真ん中に沈む。
しかし、彼女は「同胞」を信じ、決して前を向く事を諦めない。
彼女の向日葵が咲いた笑顔がとてもドラマを観ている僕の心を元気にしてくれ、生きる為のエネルギーを与えてくれる。
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電車の中で「スマホ」を見続ける日本人。
「スマホ」の中には「コンビニエンス(便利さ)」が詰まっているかも知れないが、一度、「スマホ」を置いて、「アンコンビニエンス(不便さ)」の世界に身を投じてみるのも、「精神」を健全にする上で必要な事なのかも知れない。
「人間」にはいつも「飢餓感」が必要なのだと思う。
「飢餓感」を通り越した先にきっと「幸福感」があるはずだから。
※このドラマの元になったドキュメンタリー「泣きながら生きて」があまりにも素晴らしすぎる。