ブエノスアイレス in アルゼンチン
ブエノスアイレス
イグアスからアルゼンチンの首都・ブエノスアイレスへ飛行機で入る。
空港でホテルを取り、タクシーで市内へと向かう。
着いてみると、ホテルは好立地。荷物を置き、22時30分頃から始まるアルゼンチンタンゴのショーを予約。
南米では22時30分頃と午前1時30分頃にショーが始まる。ショーなどを見て朝まで遊ぶのだそうだ。
お腹が空いたので、ホテルの並びにあるステーキハウスに入る。ビールとステーキを頼む。アルゼンチンは肉食牛の一大産地である。
日本より細くカラッと揚げられたポテトフライをつまみながらビールを飲んでいると、メイン・ディッシュのステーキ登場。レアの赤い断面からは美味しそうな匂いが漂ってくる。
ナイフとフォークでステーキを切ると引っかかりなく素直に切れた。
味は・・・というと日本で食べるステーキ以上の味なのだ。本当に美味しかった。
アメリカやヨーロッパでもステーキを食べたが、全然日本のステーキの方がおいしいと思っていた。
ビール数杯とステーキで、2300円位のお支払い。安っと思ったのを憶えている。
一旦、歩いて数分のホテルに戻り、アルゼンチン・タンゴのショーに行く為、タクシーを呼んでもらう。
タクシーの運転手に「どこへ行くのか?」と問われたので、「アルゼンチン・タンゴを聴きに行く」と答え、タンゴの一節をくちづさんだら、
「ラ・カンパルシータ」とおじさんは「GOOD!」という合図をしてくれた。
タンゴショーは、フラメンコ・フォルクローレ(南米の民謡を歌う・・・例えば「コンドルは飛んで行く」など)・バンドネオンの連奏などから構成されている。
会場は「ツアー客」優先で、個人で予約した僕は劇場の端の方だった。
2時間に及ぶタンゴショーは全く飽きさせない素晴らしい内容だった。午前二時頃、ホテルに戻る。
翌朝、午前中はティグレ川のクルーズに出かける。ホテルからの往復送り迎え付き。
ブエノスアイレスはティグレ川河口にできた町だが、水の上から見るブエノスアイレスも美しい。肌寒い気温の中、五時間のクルーズを楽しんだ。
南米のパリと呼ばれているブエノスアイレス。ボカ地区にあるカミニート。このカラフルな街並みから、タンゴが生まれた。
この日の夜もタンゴショーに行く。
22時30分開演直前、いちばん舞台から遠い席に座らせられた私の真横に日本人らしきおじさんが座った。
気になったが、ショーが始まり、私の関心は舞台の方に向かった。
終演後、「これから、女買いにいきませんか?」と日本語で言われた、突然‼️
100ドル札を20枚以上手に握りしめたおじさん。
「いいですよ!」と内心ヒヤヒヤしながらも、基本、この手の誘いを絶対断らない私。
全く、「買春」には全く興味は無かったが、このおじさんの「奇妙さ」に惹かれた。
自分一人では体験出来ない世界がある様に思えた。
土砂降りのブエノスアイレス。二人の珍道中が始まった。
おじさんは在日韓国人で大阪の淡路出身。
僕の実家も大阪府吹田市で、同じ市内だ。
彼は今、ニューヨークに住んでいて、ブエノスアイレスには商用で来ているとのこと。
それから二軒飲み明かし、白人の娼婦におじさんは交渉したが、黄色人種なのか断られ、最後にたどり着いたのはブエノスアイレスのキャバクラ。
おじさんはスペイン語が流暢なので、いろんな事をどんどん交渉する。
私はかなりへべれけ状態になっていた。
隣に座る女の子に英語で喋りかけても全く通じない。おじさんはキャバクラ嬢とスペイン語で盛り上がっているが、こちらは黙って座って飲んでいるしか無かった。
座席から望むキャバクラの舞台はいやにキラキラとしていた。
舞台ではキャバクラ嬢によるショーが繰り広げられている。
おじさんは三軒とも何故か奢ってくれた。
「隣のキャバクラ嬢に『ホテル名』と『部屋番号』を紙に書いて渡せば、店が終わったら、部屋に来てくれる。一晩100米ドル。彼女たちの多くはお隣、ウルグアイからの出稼ぎなんだ。どうする、オマエ❓」
僕はその申し出を丁重にお断りした。
「買春」をする気など全く無かったからだ。
言葉の通じない女性と二人っきりになっても気まずいだけだし。
そんな僕の気持ちも知らず、おじさんはキャバクラ嬢と共にお店を出てタクシーに乗り、滞在しているプラザホテルにお持ち帰り。
私は午前二時、突然、深夜のブエノスアイレスで一人取り残された。かなり酔っている。
アタマがクラクラした。
何とかタクシーを止め、「ランカスターホテルへ」と運転手に伝える。辛うじて「ホテル名」は憶えていたのだ。
ホテルに着いた。ホテルの正面の大きな扉が閉まっている。
絶望的だ。
必死で扉を叩いて叫んでいると、扉を開けてくれた。
部屋に戻り、翌朝の食事のルーム・サービスを「ドアの外ノブにかける用紙」に書き込む。
ベッドに入り、疲れていたのだろう。すぐに熟睡。
ドアをノックする音で目が覚めた。ルーム・サービスが来た様だ。
このルーム・サービスで帰国する飛行機に間に合った。本当に、綱渡り人生。
ブエノスアイレスからリオ・デ・ジャネイロまで六時間。
リオからロサンゼルス経由、成田まで二十四時間。
この旅行の時は大阪に住んでいたので、成田から伊丹へ。
さすがに自宅に着いた時はヘトヘトになった。
(1986年)
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