音姫
今日は7月7日(日)は「都知事選挙投開票日」である。
いやいや、元来が「七夕」なのだ。
一年に一回、「彦星」と「織姫」が「天の川」を渡って会えるロマンティックな日。
そしてそして、「音姫」の話。
「音姫」と言って、思い浮かぶのは大体の「女子」が知っている「トイレに付いている『女性の排泄音』を聞こえなくする様に、『川のせせらぎの音でなどを『排泄の瞬間』に流して、『水の節約』をするという機械」のことだ。
僕は世界52の国と地域を訪れたが、「音姫」なるものがあるのは「日本」だけだった。
「アメリカ」や「ヨーロッパ」の「駅のトイレ」は甚だ「開放的」であり、「男女混合」だったり、「使用中の人の足が丸見え」だったりした。
インドに至っては、田舎の村では、「朝のトイレタイム」には村人の「裸のお尻」がずらりと国道沿いにたくさん並んでいて、平気で「大便」も排出しているのである。老若男女‼️
「オードリー・ヘップバーン」も「吉永小百合」も「夏目雅子」も「綾瀬はるか」も「石原さとみ」も「芦田愛菜」も「小池栄子」も「二階堂ふみ」も「大便」や「小便」を毎日するのは、紛れも無い事実だ。
少し、話はズレるが、「高速道路のサービスエリアのトイレ」、「女子トイレ」は「長蛇の列」が出来ている事が多い。
そんな時、「おばちゃん達」はどうするかと言うと、
「ちょっと、男子トイレ借りようや」
と誰に言うでも無く、「男性たち」に聞こえる様に「宣言」して、「空いている男子トイレ」に乱入して来る。
「若くなければ」「美人でなければ」、「女性」は「排泄音」を聞かれてもほとんど気にしないのではあるまいか(笑)
こうしたある種、「女性」を「男性」に対して「神格化」するのは、結構「日本特有」なのかも知れない。
「女性」、特に「若くて可愛い女性」はたとえ「ルッキズム」があったとしても、それさえ乗り越えて、「憧れの存在」である。
「女性が『嫌だ‼️』と言う事」に、「男性たち」は抵抗出来ない。
「今の世の中」は「ジェンダー重視」と叫ばれているけれど、本当のところは「女性が優遇されている」のではないかと、僕は睨んでいる。
「女を使う」というのを「女性」はよく使う。
なんだか、「卑怯」だなぁ〜なんて、僕は思ってしまうのだ。
「男児雇用均等法」。
この法律が本当に正しかったのか❓あるべきだったのか❓
それこそ、「ジェンダー」が違うのだから、「身体能力」も「気の使い方の方向性」もかなり、「男女」では異なると思うのだが。
皆さんはいかがお考えですか❓
僕は「音姫」など、要らないと思っています。
「愛する女性」の「排泄音」を聞いても、「恋」が醒める訳では無いし。醒めるんなら、それだけの「恋」「思い」でしか無かったのだし。
「結婚」したら、「排泄音」も「オナラの音」も「夫婦共有」「夫婦許容」し合って、歳を重ねるまで、一緒に生きて行く訳だし。
「女性」の皆さん、もう「男性」の前で、「憧れの存在」として、取り繕って生きるのは止めませんか❓
あなた達にはそれを凌駕する魅力がきっとあるはずだから。
自信を持って‼️