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駿台予備校百万遍仮校舎の思い出

その夏、僕は京都・百万遍にあった駿台予備校の仮校舎に通っていた。

百万遍交差点
百万遍交差点
京都大学 吉田キャンパス

本校舎が建て直し中で、仮校舎はボーリング場を改装して、使っていたのだった。予備校に通うなら、駿台予備校か近畿予備校と言われた時代。

当時の僕は高3。阪急京都線の南茨木の自宅から電車とバスで通学していた。

予備校のフロアーにはいつも人がウヨウヨいた。女子高生も多かった。好みの子を見つけて、早めに行き、遠くから彼女を見つめていたが、中高男子校の僕には全く声をかける術が見つからなかった。

予備校で画期的だと思った事は、教師の授業の進め方の上手い事。

表三郎先生
(現在84歳)
表三郎先生


英語の表三郎先生。片方が遠視で、もう片方が近視のメガネをかけているとおっしゃっていたのが、忘れられない。随所で笑いを取りながら、決して学生の気持ちをそらさない。

古文の田中重太郎先生。この先生はゆっくりしたテンポで軽快に古文の魅力を分かりやすく教えて下さった。学生が敬遠しがちな古文。その古文を好きにさせてくれる魔法使いの様なおじいちゃんだ。

僕は駿台予備校に2週間通った。心に思う女子高生が出来た。もちろん、一度も口を聞いた事は無かった。

京都市電
京都市電
京都市電
京都市電
京都市電
京都市電

最終日、いつも乗っているバスをやめ、彼女が乗っている市電に乗り込んだ。彼女の横顔が近くに見えた。市電は無情にも進む。

八坂神社

「八坂神社前」。彼女は降りなかった。僕は阪急電車に乗る為に、市電から降りた。

何をした訳でも無いのに、僕は「失恋」した気分で、京都の空に向かって、深く強い、全く消えそうもない哀しみをぶつけていた。

この予備校への通学は、僕にもう一つの事を与えてくれた。手塚治虫漫画との出会いである。

シュマリ
火の鳥(朝日ソノラマ版)
火の鳥(朝日ソノラマ版)



この前年、小学館文庫から手塚治虫「シュマリ」、朝日ソノラマから「火の鳥・黎明編」が出版された。それが僕と手塚治虫の出会い。

京都スカラ座
京都スカラ座



京都・河原町三条、京都スカラ座という映画館の隣にあった薄暗い本屋で、僕は「大都社」から出版されていた「ばるぼら」「奇子(あやこ)」「きりひと讃歌」「一輝まんだら」「IL」等手塚治虫の大人向けの漫画を購入、むさぼる様に読んだ。手塚治虫の「ギラギラした情念」が溢れた作品群だった。

ばるぼら
きりひと讃歌
IL
奇子
一輝まんだら



大学受験のストレスを「手塚治虫」作品で晴らしていた僕。読破した漫画の冊数は200冊に達した。

入社し、「11PM」でディレクターデビューした時、手塚治虫さんとお仕事を御一緒した。ただただ、嬉しかった。感動した。感激した。

いろんな事が起こった高校2年と3年の夏の京都。

六甲高校のバスケ部のキャプテン作田慎治と副キャプテン市田邦洋も同じ駿台予備校に通っていた。

彼らは京都大学吉田キャンパスの学食でビールを飲み、酔っ払っていたという。

キャプテンを務めた
作田慎治(一周忌の法要にて)
副キャプテンを務めた
市田邦洋

そのキャプテンも脳腫瘍を患い、10年以上前に鬼籍に入った。

京都・駿台予備校。
忘れられない想い出となり、僕の中にある。

50年近く前の話。

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