マルセ太郎さん
「タモリ、ビートたけしは『文明』だ。マルセ太郎は『文化』だ」と言ったのは、落語界の重鎮・立川談志。
「マルセ太郎が売れないのは『お笑いの芥川賞』で、『直木賞』じゃないからだ」と言ったのは、芸人・書評家の内藤陳。
この言葉をマルセ太郎(以下、敬称略)自身も気に入っていた。
「芸人みんなが甲州街道をマラソンで競走している時、青梅街道を一人マラソンで走っているのが私、マルセ太郎」と言ったのは本人の弁。
なかなか売れなかったマルセ太郎を渋谷にあったライブハウス「ジャンジャン」で目にして、映画再現芸「スクリーンの無い映画館」という芸にする様、アドバイスしてくれたのが、永六輔である。
また、マルセ太郎のライブには古舘伊知郎や松たか子も駆け付けている。僕も彼らの姿を何度も目撃している。
そんな「奇跡の芸人 マルセ太郎」を「EXテレビosaka」で番組にしようと思った。僕自らの発案で企画を通す事はお恥ずかしながら珍しかった。
その数年前から梅田にあったオレンジルーム(今のHEPのある所)というライブハウスで何度か、マルセ太郎の「スクリーンの無い映画館」を観ていた。
その時、マルセが演じた映画は「アマデウス」だったり、「泥の河」だったり、山田洋次監督の「息子」だったりした。
マルセ太郎は何も無い舞台の上に「ミカン箱」一つ置いて、そこに作務衣姿で座り、喋りと顔の表情、手足を使った身振り手振りで「映画」を語っていく。
実際の映画を観ているより、マルセが切々と語る映画の方が思いっきり笑って、物凄く泣ける。
そして、マルセはそこに必ず、「社会風刺」を隠し味で入れるのである。それが押し付けがましく無い。その事も観客の胸にマルセの語りがグッと刺さる要素の一つなのだ。
「EXテレビosaka」の打ち合わせで、神戸市内で公演しているマルセ太郎の元を訪ねた。
公演終わり、マルセと二人、近くの鮨屋で呑む。ビールを美味しそうにゴクゴクと飲むマルセ。
テレビ番組に出て欲しいという僕の強い思いを伝える。
「僕の芸はテレビには全く向いていないと思います。お断りします」
とマルセはあっさり言った。
マルセ太郎はかつて、「サルの生態模写」でメディアに取り上げられていた。12年に一度の「申年」の時だけに。
確かに、「スクリーンの無い映画館」をそのまま番組の中でやる事は出来ない。その再現芸の長さが映画の長さとほぼ一緒だからだ。
僕はマルセに提案した。
「マルセさんの今までの人生、そして芸を思うままに、司会の上岡龍太郎さん一人だけを観客にして喋ってもらえませんか?」と。
マルセは渋々番組への出演を承諾した。
マルセ太郎の映画再現芸「スクリーンの無い映画館」を上岡龍太郎さんや視聴者にVTRで観てもらう為、九州の日田と小倉の二公演、一泊二日、マルセに同行取材を敢行した。彼はマネージャーも連れず、一人ボストンバックを持って、日田駅に現れる。
日田でも小倉でも観客はマルセの芸で感動し、会場から出て来る人々にインタビューしようとしても、涙ぼろぼろでなかなか容易では無かった。男性もハンカチで顔を拭きながら涙ぐんでいた。
スタジオ収録当日。マルセが入って来ると、立川談志さんにマルセ太郎の凄さを聞いていたのだろう。
上岡龍太郎さんとマルセの打ち合わせというより、「芸」の話が一時間余り盛り上がった。
二人の話が終わる様子が無さそうなので、何とかタイミングを見て二人に声をかける。
本番収録。マルセ太郎を独占して、上岡龍太郎さん観客一人の贅沢な公演が始まる。
二人の話は1時間40分余り続いた。
物凄く面白い話が録れたと僕は心の中でバンザイをしていた。
収録後、帰ろうとするマルセを上岡さんは呼び止め、そこから午前3時過ぎまでの1時間半、局の2階のロビーで二人の面白い話が聞けた。この時もカメラを回しとけば良かったと後悔した。
それにしても、僕に取っても素晴らしい一日だった。
放送が終わっても、マルセ太郎と僕の交流は続いた。狛江市の御自宅に何度もお邪魔した。毎回、マルセの興味深いお話をたっぷり4時間余り聞く事が出来た。
それから、マルセの公演があると、必ず足を運んだ。公演終わりで喫茶店でお茶を飲んだ。
この頃、マルセは肝臓がんである事を宣告されているにも関わらず、その自分の病気を舞台の上でのトークに折り込み、面白おかしく話し、笑いを取っていた。
ある日の深夜、僕はタクシーに乗っていた。パソコンを開け、メールチェックを始めた。
大量のメールをパソコンが受信し始めた。何事が起こったのか?
いちばん新しいメールから見ていく。
「マルセ太郎死去」の報だった。
次々とメールを開けていく。「ICUに運び込まれた」「病院に到着した」「救急車で搬送中」「岡山公演で倒れた」など、時系列とは真逆に情報が入って来ていた。
頭が真っ白になった。どうやってタクシーを降りたのかも憶えていない。マルセ太郎と僕の間の記憶がゆっくりと崩れ落ちていく様に感じた。
享年67歳。
全国のマルセ太郎の熱狂的ファンが「スクリーンの無い映画館」の公演を何年も待ち望んでいるのだ。
だが、その芸は二度と観る事は出来ない。
今でも、照れくさそうに喋るマルセ太郎さんの不器用で優しい笑顔が僕の中で浮かび上がって来る。
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