小さな恋のメロディ
1972年、僕は淀川長治さんが解説を務めていた「日曜洋画劇場」で、映画「小さな恋のメロディ」を初めて観た。
その時の衝撃は忘れられない。
何と言っても、「トレーシー・ハイド」の可愛さが素晴らしすぎた。
そして、まだ、「少年」と「少女」が「厳しい学校の規律」に反して、「デートする姿」に憧れた。
僕は当時、中学受験が終わり、神戸の「中高一貫の男子校」に入学して間もない時。
ほぼ同い年の「マーク・レスター」と「トレーシー・ハイド」が仲良く手を繋ぎ、「海沿いの遊園地」に行ったり、「古びた墓地」に行ったりするシーンは僕の心に響きまくった。
そして、音楽。
「ビージーズ」だ。
「メロディフェア」は素晴らしかった。
この映画の脚本は後に傑作映画「ミッドナイト・エクスプレス」を撮る事になる映画監督の「アラン・パーカー」。
プロデューサーは後に「アラン・パーカー」などの映画や「キリングフィールド」を手がけた「デヴィット・バットナム」。
ラストシーンは絶対忘れられない。
高校教師や父兄に追いかけられ、追い詰められる二人。
それを守って、逃げさせようとする同級生たち。
そして、二人は「トロッコ」に乗り、ゆっくりと漕ぎ出す。
「トロッコ」は動き出し、カメラは「クレーンアップしてして、やがて「空撮」に切り替わる。
遠くへと消えて行く「二人が漕ぐトロッコ」。
画面に「MELODY」という、この映画の「原題」が「真っ赤に」スーパーされて、映画は終わる。
この初めての「テレビ放送」をキッカケに、「小さな恋のメロディ」ブームが再び起きて、映画雑誌「スクリーン」や「ロードショー」で次々と「特集」が組まれた。
「特集」の中心はやはり、「トレーシー・ハイド」だ。
彼女は僕の「永遠のアイドル」になった。
そんな時、「映画館」で「小さな恋のメロディ」を再上映する動きが始まった。
大阪梅田の阪急梅田駅近くにあった「三番街シネマ2」で、「小さな恋のメロディ」はスクリーンに蘇った。
150人位入るといっぱいの映画館。
僕も、どうしても「映画館」で観たくて、「超満員」の中、映画を堪能した。
この度、「小さな恋のメロディ」に出ていた「マーク・レスター」と「トレーシー・ハイド」が二年前に来日した時、2週間にわたり、カメラが追いかけた「記録」が「映画」として公開されるという。
2025年ロードショー。
50年以上経った動く「トレーシー・ハイド」を見るのは怖い様な気もするが、ここは「勇気」を出して、観てみよう。
彼女の顔に刻まれた「半世紀あまりの時間」を見てみたいのである。
ちなみに、「小さな恋のメロディ」の「有名なトロッコのラストシーン」に使われている「音楽」は「ビージーズ」では無く、「クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング」である。
「トレーシー・ハイド」は現在65歳。
僕と「同学年」という事が分かった。
ますます、彼女に親しみが湧いてきた。
「同時代」を生きて来たのだから。