新宿ゴールデン街の柳かおりさん

柳かおりさんと初めて会ったのは、新宿ゴールデン街のバーだった。二階に上る、カウンターだけのお店で、1時間千円ちょっとで飲み放題。常に「昭和歌謡」がかかっている店だった。

かおりさんは煙草を燻らし、大きな声でよく笑った。年齢は20代後半。こっちまで元気になる笑い声だった。僕はその店に通い、いつも深夜まで飲み続けた。かおりさんと「昭和歌謡」の話をするのが楽しみだった。リクエストもいっぱいした。僕は店に着くと、まず太田裕美の「赤いハイヒール」をリクエスト。筒美京平でいちばん好きな曲。毎回へべれけになって家路についた。

ある時、その店からかおりさんの姿が消えた。LINEしてみると、歌舞伎町コマ劇場裏手のクラブで働いているとの事。住所を頼りに店を探したが、何故か見つからなかった。

音信不通になり、1年も経っただろうか。かおりさんから連絡が入った。新宿ゴールデン街に自分の店を持つという事だった。店の名前は、「かおりノ夢ハ夜ヒラク」。25年通ったバーが閉店し、行くお店が無かった僕にとって、新たな母港ができた感じがした。

開店初日、僕は「チェキ」を持って駆け付けた。お客さんを「チェキ」で撮り、その写真をお店の壁に貼ったらどうかと思ったからだ。かおりさんの店はこじんまりとした店だった。お店に上がって来る階段には、かおりさんの大好きな藤圭子さんの写真が飾ってあった。

この店でもかかるのは、「昭和歌謡」。スマホに集めた曲をステレオに飛ばしていた。

お客さんが来ると、かおりさんは大声で、「カキン、カキン」と言って乾杯した。営業時間は、彼女が起きて、店にたどり着いた時から、朝まで。ボトルキープの期限は「一生」だった。

一時、外国人が多かった新宿ゴールデン街。常連さんの事を考えて、「席は全て予約で埋まっている」と言って、かおりさんは外国人をお断りしていた。

春は、「お花見」、師走には、「年越しカウントダウン」。常連のお客さん達と温泉に泊まりがけで行く事もあった。

柳かおりさんは、お父さんは柳ジョージだと言っていた。僕も長い間、それを信じていたが、それは真っ赤な嘘だった。彼女は明るく笑い飛ばした。

彼女はお店が閉まる朝方から、飲みに行く。泥酔して、スマホをよく無くした。水没させて、使えなくなった事もあると言う。

僕は5年ほど前、お酒を止めてから、彼女の店には一回しか行った事が無い。でも、かおりさんのLINEグループには入っているので、近況は分かる。今夜もまた、寝坊して遅刻している様だ。そんな彼女の人間臭さが常連さんにはたまらなく愛おしいに違いない。

今日も新宿ゴールデン街に、「カキン!」の声が響き渡る。

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