![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147458842/rectangle_large_type_2_4416a170da4f8a2325c8b521ac5d75f3.png?width=1200)
「キングコング」と「カサンドラ・クロス」
1976年、年末、2本の映画が封切られた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147457888/picture_pc_d61759ae53ab546ab3a3e401b2cb41a1.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147457890/picture_pc_93de1144754615d7de793fe81cc71342.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147457889/picture_pc_52d8b6ff0f50f7075e6e16fb366dfdf0.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147457891/picture_pc_877e7e5aff1a190a5cb1a404c05f966f.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147457892/picture_pc_ff52dd6093974ffc4228d127abd17ed3.png)
「キングコング」と「カサンドラ・クロス」という超大作である。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147458275/picture_pc_44caecce46d7dae95ba5da6a59cc1427.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147458277/picture_pc_69f88c029290ed8fda6c48365e50f74c.png)
前者の配給は「東宝東和」。後者は「日本ヘラルド」。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147461024/picture_pc_c88d20901fe6e2c514291756aab764d8.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147461022/picture_pc_87907a1d9b48a7e83c403c011c9e1265.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147461023/picture_pc_528848de5cb93f3f1d60b1480cb4a693.png)
そして、前者のプロデューサーは「ディノ・デ・ラウレンティス」。後者は「カルロ・ポンティ」。
「カルロ・ポンティ」は女優・ソフィア・ローレンの旦那でもある。
どちらも「イタリア系独立プロデューサー」だった。
「日本の配給会社」「イタリア系プロデューサー」対決だったのだ。
僕はその事に密かに気付いて、ほくそ笑んでいた。
当時、高校生の僕には金が無かった。
だから、「男子校」に通っていた僕は「ジェシカ・ラング」の「妖艶な裸体」見たさに「キングコング」を観に行ったのだと記憶している。
確か、阪急三宮駅に隣接するロードショー館「阪急会館」では無かったか。
そして、なんとか小遣いを工面して、「カサンドラ・クロス」も観に行く事になる。
こちらを観たのは、国鉄三ノ宮駅の東側にあった神戸新聞ビルの中の「新聞会館大劇場」。
この頃、年末年始は大概、2本か3本の大作映画が重なって公開されていた。
例えば、センサラウンド方式で上映された「大地震」と「エアポート'75」。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147459369/picture_pc_8966e1665cafdd8beed66cbd28a781d7.png)
どちらの主演もチャールトン・ヘストンだ。
彼はハリウッドの大作に主演する大スターであり、アメリカライフル協会の会長でもあった。共和党支持者。
今みたいに、「DVD」や「配信」で映画を観るという方法は無いのだから、新作を観るには「映画館」に足を運ばなくてはならない。
「映画館に行った時の記憶」が「映画」に付随して、僕の頭の中に残っているのである。
中学・高校と6年間、映画を観続けた「三宮」という街。
僕にとって、どんなに愛おしい事か。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147459689/picture_pc_d38093803b9c0cee3c8ba10b86d6b5c0.png)
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/147459690/picture_pc_2d378393d6ec4044872493d326079611.png)
「阪急会館」「阪急シネマ」「阪急文化」「三劇」「三映」「新聞会館大劇場」「スカイシネマ」「神戸国際松竹」「神戸国際日活」などなど。
全ての「映画館」が僕の心の中で、今でも「宝石」の様に光り輝いている。