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「正義という名の暴力―キャンセルカルチャーと集団心理の危険性を考える」
絶えず報道される芸能人や政治家の不祥事と、それに対する世間からのバッシング。たとえ「身から出た錆」であるとしても、すでに当事者間で解決済みの過去の出来事に対し、社会的制裁を加える行為は果たして正義と呼べるのだろうか。また、いわゆる「特定班」と称されるネット上の集団による攻撃は、近代民主主義における正義の実践と言えるだろうか。
現代社会において、「正義」という概念はかつてよりも強い影響力を持つようになった。特にSNS上では、誰もが自身の「正義」を掲げ、他者を批判し制裁を加える行動が目立っている。この現象の典型例が「キャンセルカルチャー」である。この行動の本質は、特定の人物や団体が過去に発言・行動した内容を理由に、一斉に批判し、その社会的地位を剥奪しようとする集団的な動きにある。しかし、このような行動は表面的には「正義」を掲げているものの、その背後には実質的に「暴力」と変わらない力学が働いている。
キャンセルカルチャーが抱える最も深刻な問題は、その制裁が一方的かつ感情的に行われる点である。多くの場合、批判の対象となる人物や団体には反論や釈明の機会が十分に与えられる前に集団の感情に基づいて「有罪判決」が下される。この現象は、かつての「魔女狩り」にも通じるものだ。当時の魔女狩りが宗教的狂信と恐怖に基づく集団暴力であったのと同様、キャンセルカルチャーも「正義」を盾に加害行為を正当化し、人を排除する行為である点で共通している。
さらに、キャンセルカルチャーの特徴として、批判が過去に遡る傾向があることが挙げられる。過去の発言を切り取り、現在の価値基準で裁く行為には、歴史的・文化的な文脈を無視する危険性がある。この点について、ハイトとルキアノフ(2019)は「現代社会は若者に過度な被害者意識を植え付け、異なる価値観に対する不寛容を助長している」と指摘している。このような行動は「正義」の名を借りた暴力に他ならず、相手を更生させたり建設的な議論を促したりするよりも、単に制裁を加えること自体が目的となっているように見える。
集団心理による個の喪失
キャンセルカルチャーの根底には、集団心理が存在する。人間は集団に属することで安心感を得る生物であり、特定の意見や価値観を共有する集団に属することで、自らの判断力を失う傾向がある。この現象を説明する概念として「個の喪失」がある。
集団心理が働くと、個人は集団の一員であるという意識に支配され、自らの倫理観や理性を失いやすくなる。特にSNS上では匿名性が高いため、責任感が希薄になり、過激な発言や行動がエスカレートしやすい。この現象は、「自分一人の行動ではない」という感覚が生じ、行動に対する罪悪感や責任感を軽視してしまう心理によるものである(二宮, 2022)。
また、集団における同調圧力も無視できない。「自分も批判に加わらなければならない」という暗黙の圧力が働くことで、本来なら理性的に判断できる個人も集団の感情に流されてしまう。その結果、批判対象への攻撃が過剰化し、社会的排除に至るまで行動がエスカレートする。この段階に至ると、個人の理性や判断力は完全に失われ、集団は一つの暴力的存在として機能する。
おわりに
キャンセルカルチャーおよびそれに伴う集団心理の問題は、現代社会における「正義」とは何かを問い直す契機となる。我々は、自らの行為を「正義」と信じ込むあまり、他者を傷つけ排除する行動を無意識のうちに正当化してしまう危険を孕んでいる。また、集団心理によって個を見失うことで、自分自身の判断を鈍らせ、結果的に「暴力」に加担してしまう可能性もある。このような現象を防ぐためには、個々人が感情ではなく理性に基づいた判断を行い、自らの行動を客観的に振り返ることが不可欠である。
出典一覧
1. 橘玲『世界はなぜ地獄になるのか』小学館, 2023年.
2. ジョナサン・ハイト, グレッグ・ルキアノフ『傷つきやすいアメリカの大学生たち:大学と若者をダメにする「善意」と「誤った信念」の正体』草思社, 2019年.
3. 伊藤昌亮『炎上社会を考える ― 自粛警察からキャンセルカルチャーまで』中公新書ラクレ, 2021年.
4. 五野井郁夫「キャンセルカルチャーはデモクラシーを窒息させるのか」, 2023年.
5. 二宮祐「大学におけるキャンセル・カルチャー」, 群馬大学, 2022年.
つづきは、キャンセルカルチャーの子ども達への影響についてです。
「批判より共感を――子どもの未来を育むために親ができること」