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【ポジとネガが入り乱れた時代】中学校3年間の概要をまとめてみた

前回は小学生編を6500文字ほどかけて書いてきましたが…

今日は、中学時代を語ります!!!


中学時代…
学生時代の中でもプラスとマイナスのギャップがめちゃくちゃ激しい3年間でした。


バスケ部がしんどすぎたこと。

同学年の男子が怖くなって、目も合わせられず敬語で喋ってたこと。

小学生時代、親友だって思えるぐらい仲良かった子にめちゃくちゃ悪口&陰口言われて、裏切られた感満載でつらかったこと。

それらのしんどいことがあって、週1~2回ぐらい休んでたこと。


そんなマイナス面もあれば…


文化祭の出し物として生徒有志で行われる生徒劇で、3年間最高の自分を発揮できたこと。

友達同士で同人サークルを作り、初めて原稿用紙にシャーマンキングネタの漫画を描いて、神戸であったイベントにみんなで作ったコピー用紙の同人誌を販売したこと。

中2の途中ぐらいで転校してきた子と意気投合し、めちゃくちゃ仲良くなって、そこから大人になるまで繋がっていてあらゆる刺激をもらったこと。


そんなプラス面もある。


濃い3年間だったなぁ。
小学生の頃より、感情が上下に大きく動くことが多かった。
思春期やねぇ、ほんと。

まぁ、そんな感じのことを今回は書いていけたらと思ってます。


あ、noteって目次機能あるのか。
せっかく見つけたし、使わせてもらおかな。



部活と、失恋からの恐怖症と、裏切りと。


最後をハッピーに持っていくために、最初にまず落とすところから書くのはセオリーだったりする。

なので、まずは中学時代のしんどかったことから書いてこかな。


体力的にしんどすぎたバスケ部


本当は、卓球部が良かった。
卓球部を切望した。

…けど、1学年100人ぐらいの小さめの田舎の学校には、卓球部はなかった。

じゃあどうしようかな。

そんなとき、幼稚園時代からの幼馴染Tくんの2つ上のお姉ちゃんYちゃんが女子バスケットボール部にいるってことを知った。

小学生時代からめっちゃよく遊んでた。
児童館でもよく遊んでたし、卓球も一緒にしてた。
活発で、元気で、頼りになるお姉ちゃん。

そのYちゃんが「良かったらバスケ部こーへん?」って誘ってくれたから、特に他に入りたい部活もなかったし、バスケ部にした。

(母は幼馴染のYちゃんがおるから安心や!とか、身長伸びるわ!とか、運動部はええな!って喜んでくれた。とりあえず、身長は伸びなかった)


ただ、Yちゃんは2つ上。
そう、中3。最高学年ってことだ。

いつも通り、Yちゃんと部活中にため口でちょっと話してたら、中3の女バス(女子バスケ部)の先輩に言われた。

ちゃんと敬語を使え、と。
いくら仲良くても、そこはちゃんとしろ、と。
小学生時代とちがうんやで、と。

小学生時代からため口で話してた仲良しのYちゃんと敬語で話すのは違和感ありまくりだったけど、別にそれはよかった。


何がって、とにかく練習がキツくてしんどかった。

中学から始めた初心者。体力もそんなに秀でてるわけじゃない。
先生も厳しい。卓球と違って、そこまで上達した感じもしない。

小学生時代からミニバスしてた子が数人いて、その子たちがめっちゃ活躍してた。
何なら、3年の先輩と一緒にやる子とか、上手い男子とやる子とかもいたし、試合も早速出てる子もいた。


それは別にいい。

あの子より上手いとか下手とか別に考えなかったし、「あの子より上手くなりたい!」とかも皆無だった。
試合に勝つとか、負けるとかも正直どっちでも良いし。(そりゃ負けた瞬間はちょっと悔しいけどね)

その辺、競争性のなさ(現在32位)がすでに垣間見えてる感じやね。笑


ただただ、体力がなかった。

試合中は声が大きいこともあって基本応援団を専任してたけど、いざ練習試合で使われても、数分でバテてたし、上手くないからドリブルもミスるしシュートもバッチバチに外してた。笑


夏休みの練習とか、ただただ地獄だった。
暑すぎる体育館で、扇風機とかあるわけないし、ただ扉が解放されてるだけ。
ひたすら走る。ずっと走る。シュート練習とかパスの練習とか、色々やってたけど、基本走る。


まぁ、そのおかげでちょっとは体力はついたと思うけどね、たしかに。


あと、今と違って休憩時間に入らないと水分補給できない時代だったと思う。
途中、吐いてる子もいた。
今考えると恐ろしいよね、めっちゃ。


てか、夏休みにはYちゃんはもう引退してたし。
関わる時間少なかったし。
簡単に「Yちゃんおるから」って入部したけど、もっとそれを考えるべきやったかもしれん。


で、だ。

体力が持たんとか、夏場は暑くて死にそうとか、練習しても上手くならんとか、それぐらいやったら別にそこまでマイナスじゃなかったと思う。(いや、十分しんどいけど)

問題はここからだ。

次に続く。


「好きな子」が波乱を呼んだ中1…同学年の男子恐怖症になる


ほら、やっぱあるじゃないですか。運動できる子カッコいい、みたいなやつ。

男子バスケ部にも、やっぱ数人上手い子がいるわけですよ。

幼稚園前から好きな子を途切れさせたことがほぼなかった私。

当たり前のように、男バス(男子バスケットボール部)の1年で、足が速くて、バスケが上手い同じクラスの子を好きになりました。


最初は良かった。遠くから眺めてカッコいいなぁとか、素敵だなぁとか。

でも…なんだったかなぁ…ちょっと覚えてないけど、私がその子のこと好きだって本人にバレた。
告白したのかもしれん。(ラブレターでも書いたっけかな?覚えてないな、マジで笑)


まぁ、そもそも喋ったこともほぼない子から好きって言われたら、ビビるわな。

ビビるだけならいいけど、気まずさから私をあからさまに避けるようになった。

で、他の男友達にも何か言ったっぽくて「マジで無理やって!!」「きしょいって!!」みたいな声も聞こえてきた。


部活中、男女混合で練習する時もあって、たまに組み合わせでその子と当たりそうになったときも、「無理無理無理!!」みたいな感じで、他の男子と順番交代されたり。

まぁ、たしかにバスケの上手さ的にも月とスッポンやから交代した方がお互いにとって気を遣わずいいんやけども。


あとほら、中学ぐらいから理科って教室移動して理科室で授業したりするじゃないですか?

同じクラスで、同じ理科の班になってもたときはめちゃくちゃ気まずくて苦痛しかなかった…と。

その子もやっぱ他の男子と「うーわ…最悪や」とか言ってるし、そんなん聞いたら私も顔上げられんかった。ずっと下向いてるか、先生の方向いてるか、ノート取ってた。

実験とかどうしてたんやろ?苦痛過ぎて覚えてない。


そういうことがあって、「同学年男子=怖い」っていう思い込みが強くなった。
同学年の男子と話すのが難しくなり、幼稚園からの幼馴染み以外はほぼ話せなくなったし、話すとしても何か気まずくて敬語になってたって感じかなぁ。

目も合わせられん時代だったな。


そんなことがあり、部活に行くのが体力的にも精神的にも苦痛以外の何物でもなくなってしまったのでした。

休む日も多々あったけど、それでも何とか3年間部活辞めずにやり通したのはなかなか頑張ったと思う。


ちなみに、その男子とは3年間丸ごと「恐怖の対象」でしかなくて、全く関わる事もなかったです。
(社会人になって1回だけバスケ部の集まりがあり、恐怖の思い出しかなかったしどうなる事かと思ったけど、一言二言は話せた……大人になるってスゴい)


小学生時代の親友がまさかの敵になって苦痛を味わう


男子とのいざこざがあった中1、さらに良くないことに、小学生時代の親友が他の友達とつるんで私に対して悪口やら陰口やら言うようになりました。

なんでなんやろ、あんなに仲良かったのに…って思ったな。

たしかに、周りの子は美容を気にしだす頃。
激細眉毛が流行ってたし、そろそろ腕とか足とかのムダ毛とか気になっちゃうお年頃やんね。

でも私、あんまりそういうの興味持ってなかったんよ。
よくわからんかったし。

だから、眉毛もありのまま。体毛もそこまで気にしてなかったんじゃないかな。

そしたらやっぱ言われたね。「あいつマジでゲジゲジ眉www」とか、「ボサボサやんwww」とか「きんも!」とか「きっしょ!!」とかね。

すれ違うと言われるし、こっち見てゲラゲラ笑われるし、しんどかった。

あなたの眉毛は細すぎて似合ってないし、いつも髪の毛濡らしすぎてビッチョビチョやん
…って言えるほど強い心も持ってなかったので、その都度ダメージ受けてたなぁ。


その仲良かった女子からもそうやし、男子からもそうやけど、そのときの傷って今でも残ってるんやろね。


私の辞書に「キモイ」「キショイ」は入ってない。


自分の口から言いたくもないし、ふいに他の人から自分に向けてではなく入ってくることもあるけど、敏感に耳に残ってしまう自分がいる。

ふいに入ってくるのは別に悪気があってその人も言ってるわけじゃないし、私が嫌いってこと知らんから(てか、誰かに向けて発信したことなんてないし)ある程度スルーできるけど、やっぱり耳につく言葉。


本当に見るからに気持ち悪い物を見た時は「気持ち悪っ!!」って言うことあるけど、「キモイ」と「キショイ」はずっとずっと大嫌いな言葉なんだと思う。


学校休んだ日、休みの日に遊んでたゲーム


そんなマイナス面が強かった中1~中2の途中までは、学校行くのが嫌で週1~2回休んでたな。心が持たんかった。

しんどいって言って休んで、家でこっそりプレイステーションで遊んでた。

その頃は特にRPGを好んでやってたかな。

FF7~9、DQ7、テイルズオブディスティニー&エターニア、幻水2、アークザラット2、スターオーシャンセカンドストーリー、ポポロクロイス物語1&2、ヴァルキリープロファイル、クロノ・クロス、ワイルドアームズ等々。

たぶん、どれもやり込んだと思う。
特に好きなのは、FF7、FF8、テイルズの2つ、スターオーシャンセカンドストーリー、クロノ・クロスかな。

チョコボの不思議なダンジョン系もやってた。
あと、キングオブファイターズは断然「アテナ&しいけんすう&ちんげんさい」チーム推しで使ってたな。格ゲーそんな強くないけど。

あと、この頃DDR(ダンスダンスレボリューション)もハマった。
butterflyを店頭で聴いて、めちゃくちゃ好きになって、smile.dkのCDをTSUTAYAで借りたなぁ…。で、歌えるぐらいまで聞き込んだ。

足でプレイはできんかったけど、コントローラーなら結構な難易度までクリアできたと思う。
最難関の曲も何とかクリアできるぐらいまでやり込んだ記憶。
DDRがきっかけで、ダンレボ系の曲は昔からずっと好きやし、今でもたまに聞いてテンション上げたりもする。


あと、昔も今も神ゲー確定だって思ってる「moon」も絶対忘れちゃいけないヤツ。


あー…!!キャラが…絵柄が…もう可愛いのよ!!!

moonって知ってます?
「知ってる!好き!!」っていう人いたら、ラブについて語らいたい。
なかなかリアルで出会ったことないんよね、「moon好き」っていう人。

さらに言うと、その系列でUFOも好き。
ラブデリック系のゲームは大体やったし、どれも好き。
キャラも、ゲーム性も、一風変わってて大好き。


ほら、小学生のSFCについて書いたときもそうやけど、やっぱなかなかのゲーマーよね私。
中古ゲーム屋さん、よく行ってたもん。
あらゆるゲームの裏技書いてる広辞苑みたいな分厚い辞典があって、そういうのもチェックしてたし。
あらためてゲーム好きなんやなぁって感じるわ。(笑)

あ、もちろん、ゲームに飽きたら本屋で自己啓発書読み漁ってる時代です。
児童書を読まなくなった分、もっと自己啓発書とかスピリチュアル的な本読んでたように思う。

自信なかったし、自分のこと嫌いやったし。
何とかしたかったんやろなぁ。


…ということで、マイナスな中学時代、終わりっっ!

やば、もう4500文字超えとるわ…汗


輝いた生徒劇と、創作漫画と、親友と。


プラスはプラスで大きかった。特に生徒劇。
自己理解プログラムのstep2~3でもよく出てきた。

サクッと書いていきましょかー。


文化祭の生徒劇で「好き」「得意」を発揮


幼稚園での「ごんぎつね」の劇で褒められたこと。
小学生時代、国語の本読みのセリフ部分を本気で読んだり、一人遊びで何役も演じたこと。

それが大々的に発揮されたのが中学校3年間の生徒劇だった。

文化祭の時、生徒有志で劇をするんやけど、そういう出し物があるって知ったときからワクワクしてた。

「演じること」は好きだったし、得意だった。
「あ、めっちゃドキドキするけど、やってみたい!!」
「上手くできそうな気がする」って思えた。

夏休み前に募集があったから、勇気を出して手を上げた。

そしたら、1年はたしか私だけだったんじゃなかったかな、手ぇ上げたの。
緊張したけど、何か誇らしい気持ちになった。
私、よく立候補した!頑張った!って思ったんやろうね。


夏休みぐらいから、劇の練習が始まった。

部活を正当な理由で休めるのもありがたかった。

配役を決めるために全力で心を込めて台本を読んだとき、先生にめっちゃ褒められた記憶がある。
ふだん強面で怒るとめっちゃ怖い古典の先生に、「里(旧姓)、お前上手いな!」って。
嬉しかったなぁ。

体育館の後ろまで聞こえる声量で、そこもOKもらえた。
通る声で良かった。

初めての生徒劇はやっぱり3年が一番多かった気がする。
幼馴染の姉のバスケ部引退したYちゃんもいたな。
そんな中で、結構重要どころの役をもらえた。

いっぱい練習して、文化祭当日。

めっちゃ緊張した。セリフ飛ぶんじゃないかとか、不安なこともあった。

やっぱ辞めときゃよかったとか思って後悔する瞬間あるよね、舞台袖で待ってる時間って。

いざライトに照らされた舞台に立ってみると、客席は真っ暗で、思ってたより全然人の顔が見えなかった。
そのおかげで、全校生徒が見てる感はなかったのが救いやったかもしれん。

練習通り、全力で演じきれた。

拍手喝采。

やったった感。
最高の達成感。
最強の嬉しさ。

めちゃくちゃ楽しくて、めちゃくちゃ幸せで、めちゃくちゃ発揮できて満たされた。

この経験がクセになり、2年も3年も全部生徒劇に出た。

どの年も主役のような、キーになる役だったり難しい役どころを任せてもらえたと思う。

毎年緊張して、前日とか舞台袖で出番を待ってるときは毎回「辞めときゃよかった」って後悔するけど、やっぱり終わった後見上げる舞台の天井のキラキラ感と拍手と達成感がたまらなく幸せだった。

劇が終わった直後~翌日ぐらいまで、「劇良かったよ!すごかったね!」って周りから言ってもらうのは何かムズムズして恥ずかしかったけどね。


全体的にしんどかった中学時代。
でも、3年間通してやりきった生徒劇だけは最高にキラキラ輝いてる思い出として今も心に残ってる。
やって良かったなぁと思う経験の一つだな。


同人サークルを作って初めて原稿用紙に漫画を描く


小学生時代に「この人には敵わないな」って思ってたイラストが上手い子の一人は、同じ女子バスケ部だった。

「イラストを描く」っていう属性が似てたから、結構仲良かった。

その子はめちゃくちゃジャンプで連載されてた封神演義ファン?オタク?で、誰を描いてもらってもめっちゃ上手いねんよなぁ。
封神演義愛がすごかったのを覚えてる。

何がきっかけやったんか忘れたけど、その子をサークル長にして、私を含む5人ぐらいの同人サークルを立ち上げた。

サークル名は忘れたけど、サーカス団っぽい名前やったと思う。
みんな、何かのサーカス団員のような名前だった。

ちなみに私の名前は憶えてる。
「弱気な玉乗り」だ。

弱気てwwwww

その頃、自信なくて弱気やったんやろな、基本的に。笑


10ページぐらいの漫画をみんなで描くことになった。

各々好きな漫画やゲームを題材に二次創作を描く。

サークル長はそういう世界にすでにどっぷりだったので、封神演義のカップリングのものを描いてた気がする。

スターオーシャンのを描いてた子もいたなぁ。

私はその頃好きだったシャーマンキングの二次創作を描いたな。
サークル長からそういう同人の世界を教えてもらい、それに倣って(?)主人公の葉とライバルの蓮の淡い恋っぽいものを題材にしたと思う。


…いや、はずかしっ。笑


初めての原稿用紙にGペン&インク、そしてスクリーントーン。

全部初めてやったし、手先も器用じゃないから上手くいかんことも多々あったし、作ってる最中はなかなかしんどかった覚えはあるけど…

完成した時の達成感とか、やり切った感はあって楽しかった。

みんなで近くのコンビニのコピー機を独占して(←迷惑)20部ぐらいコピーして、サークル長とかメンバーの家で集まってみんなでホッチキス留めしたりね。

で、それを持って、神戸の三宮で開催されたイベントに出て初めて販売したな。

100円とかやった気がするけど、売れんかった覚えがある。
そりゃそうか。笑

でも、その一連の経験が楽しかったな。
あんまりその当時だったらできないような体験やったと思うし。
サークル長のまりえさん、声かけてくれてありがとう!


転校生と親友に→受験もあって登校するようになった中学3年生


中学2年生のいつだったか、転校生がやってきた。

自然な赤毛で、フワフワした腰ぐらいまである長い髪の毛で、二つにくくってる元気な女の子。
テニス部に入部した。
海外にいた経験もあったからカッコいい英語の発音してた。
その子は、「ゆき」っていう名前だった。

きっかけは何だったか忘れたけど、その子とすごく仲良くなった。

プラスもマイナスもかなり気性は激しい子やったけど、私と同じぐらいハイテンションで爆笑し合えて、頑張り屋さんで、美容のこととか教えてくれて、アロマのこととか、今も疲れた時に聴きたくなるenyaの存在を教えてくれた。


ゆきが転校してきてから、学校の楽しみが増えた気がする。

気づいたら中3になっていて、受験生になったってこともあり、学校に休まずに行けるようになってきた。

つらかった部活を無事に引退したのも心の負担がグッと減った。

団地住まいでいつも「お金がない」「うちは貧乏やから」を耳にタコができるぐらい聞いてきた環境にいる私が、一軒家でリッチなゆきの家に泊まりに行って、アロマキャンドルを灯して語らうみたいな素敵な夜を過ごしたのをよく覚えてる。

中学時代編を飛び越えちゃうけど、ゆきとはコースは違えど高校も一緒だったから、ベッタリ一緒だったわけじゃないけど、よく話したし、ずっと仲良かった。

めっちゃ勉強頑張って、大学は英語がスゴイところに進学し、スタイルも見た目も素敵だったから大学時代には読者モデルなんかも経験し、大学を卒業して羽田の国際線にキャビンアテンダントとして夢を叶えて頑張ってる。

私はそのめっちゃ頑張っててキラキラしててカッコいいゆきの姿に、いつだってめちゃくちゃ刺激をもらってた。


ちなみに私は、その時代その時代で仲良くなった人との付き合いが不思議となくなっていくタイプの人間。(自分から誘ったりしないからやろな……今やプライベートで会う旧友なんておらん。汗)

でも、ゆきだけは数年に1回ぐらいのペースで、大人になってからも付き合いがある。

とはいえ、もう5年以上会えてないな…そろそろ会ってあの頃みたいに爆笑して近況報告しあいたいな。


そして高校受験……選択は間違ってなかった!


…今とあんま変わってないな。笑

中3。高校受験。

特になりたいものとかやりたいこととかなかったけど、とりあえず大学に行きたいなって思ってた。

でも、わが家の家計的に、大学に行かせてもらう余裕なんてないだろうなって思ってた時に、ふいに「国公立大学なら授業料が安い」という情報を得て、「じゃあ、神戸大学なら費用的にいけるかな」って思った。

だから、神戸大学に進学した人がいる高校に行こう、と安易に思った。


甘い…甘すぎる…


中1~中2の途中まで定期的に週1~2回休んでたわけやから、抜けてる部分がたくさんある。
塾も行かず、別にこれと言って勉強が好きなわけでもない。

そんな状態の私が、成績優秀!…なんてことなかった。

頑張ってギリギリ中の上ぐらい。

5教科で、400点目指そうってぐらい。
突破できたときも多少あったかもやけど、大体350~400点の間をうろうろしてた。

そこで行きたい高校の話を先生との面談で話した時、「頑張れば行けないことはないけど、黄色信号やな」って言われた。


そんな風に言われたら、あなたはどうします?

無理して頑張る派?
やめとく派?


私は、「やめとく派」でした。

ノリでいっちゃえいっちゃえ~ってやるように見えて、実は結構安定志向だったりします。笑


希望してた高校の一つランクを下げたところは、行ってた中学の200メートルぐらい先にある高校。

その当時新設された、「総合学科」しかない高校で、どうやら大学のように単位を取っていくパターンの高校らしいという情報を得た。

やりたいことがある人は伸びるカリキュラムが組まれてるんだと。


うーん……やりたいこと、ない。

総合学科って何かよくわからなくてピンとこない…。

てか、小中高と同じ道通っていくの、さすがにもういいかな。飽きたな。電車通学してみたいしな。

ということで、希望していたところの2つランクを下げた普通科の高校にした。


後にわかる。

この選択は大正解だった、と。


2つランクを下げたとはいえ、しっかり真面目に受験勉強そこそこやりました。

念のためすべり止めとして私立の高校も受けさせてもらって、授業料全額免除の特待生的なものももらったので、とりあえず安心して受験→合格。

そして2002年(平成14年)の4月、晴れて高校生になったのでした。



……って8800文字超えちゃいましたよ。笑

濃い中学時代やったね!

中3のとき、一個下のボーイソプラノ声がめちゃくちゃ素敵なやんちゃ系の後輩との恋とかもあったけど、長くなっちゃったからそこらへんはスルーしたよ!!笑


というわけで、おーわり!!

めっちゃ長文、ここまでお読みいただきありがとうございました!!!

次回は華の(?)高校時代編です~~~。

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