【ただ自慢するだけの時代(笑)】花が咲いた高校3年間の概要をまとめてみた
中学時代のプラスもマイナスも濃い3年間を終え、新たなステージ「高校時代」ですよ!(思いもよらず9000文字弱の大作になってしまった)
小学校、中学校ってそのまま繰り上がってきてるから知ってる子ばっかりやったけど、
高校になると全く変わるよね、人間関係って。
やっぱ小学校中学校とは全く違った3年間を過ごしたなぁ。
高校生になると、バイトもできるようになるし、電車に乗ってちょっと遠出するみたいな感じでシンプルに行動範囲がグッと増える。
(とはいえ、電車代高いのもあって神戸の山奥から下りる機会ってかなり少なかったけど)
そして、ガッツリ青春の時代ですわ。青春。笑
高校時代を総括すると、「楽しかったし、充実してたし、何でかわからんけど花開いた」って感じです。笑
今回は全体的にポジティブな流れですね~。
高校時代のベースは
「卓球部」
「優秀な生徒扱い」
「スーパーの精肉店でのバイト」
「生徒会」
「モテ期(笑)」
って感じです。
今までのネガティブ寄りの話じゃなくて、高校時代は間違いなく自慢話ばっかりになるな。
かなり私らしくない気がする。(笑)
自慢話をとうとうと語るの恥ずかしいし言いづらいわ。
まぁ、そういうのもたまにはアリか。
たまには気分良くニヤニヤしながら吐き出すのも良いじゃないですか。
自慢話ムカつく!
人のポジティブな面バシバシ出されると自分と比べてしまって落ち込む…
って人はここから即ブラウザバックしてご退席を願います………
おっけー?
もうここ読んでる人は、「自慢話カモン!おっしゃこい!!」って人ばっかりってことで大丈夫?
じゃあ、私の輝いていた時代を自己開示していきたいと思います。
充実していた高校3年間
中学とは違って、学力レベルが近い人が集まる高校。
先日の中学時代のnoteで書いた通り、希望校が「黄色信号」だった私は、2レベル分ぐらい安全圏な高校を受験し、合格。
そのおかげで、同学年男子恐怖症だったり「弱気な玉乗り」って自分でペンネームを付けたりするぐらい自信がなかった私でしたが、徐々に自信をつけていくようになります。
ようやく念願の卓球部に入部できた!!
高校に入ってまずチェックしたこと。
それは、「卓球部があるかどうか?」でした。
中学時代、卓球部がなかったことにすごく悔しい思いをした私でしたが、
小学校時代ほどではなかったものの、時々児童館に行って卓球をしてた覚えがあります。
それぐらい、卓球が好きだったんですが、今回入った高校には…
卓球部、あったーーーーーーーーーーーー!!!!!(歓喜)
卓球部あってこんなに喜ぶ女子高生っているんでしょうか?笑
迷わず入部を決めます。
同じ学年で卓球部に入ったのは、女子ばっかりで私含めて7人。(遅れて入ってきた子も含む)
ええ、もちろん私以外の6人は中学時代も卓球部で、何ならそのうち4人は卓球が強いって言われてるらしい中学校の子たちでした。
卓球部じゃなかったし、どこ中が強豪校とか知らんよね、うん。
仮入部の段階から、遊びでやってきてた私との格の違いを感じました。
てか、みんな何で「マイラケット」とか持ってるの?
え、自分専用のラケットってどういうこと?
ラケットってその施設で借りるもんじゃないの?
え?買うもんなの?これ??
そのレベルですよ、ええ。笑
しかも私は、なぜか小学生の時から一般的な「シェイクハンド」(今の時代、90%はシェイクハンド派らしい)ではなく、昔ながらの持ち方で少数派の「ペンホルダー」のプレイヤーでした。
あ、でも同学年の子、メジャーなシェイクの子とペンの子半々ぐらいやったな。
なんなら、ペンより激レアな「反転式ペンホルダー」でラケットをくるくる回しながら粒高ラバーを使いこなしてる子もいたけどね!…すごいわ!!
周りの子たちがすごくても、特に気にせず「卓球が思う存分できるー♪」っていう幸せ満開な気持ちで迷いなく入部確定しました。
男子の先輩は6人ぐらい、女子の先輩は4~5人ぐらいいたかなぁ…
人数だけで見るともう全然少ないよね、卓球部。(笑)
そこに7人の1年女子が入るってえらいこっちゃやで。
しかも即戦力の強さの女子いるし。
最初は学校の借り物のラケットを使わせてもらって、1年の間にマイラケット買いに行ったと思います。
周りと比べると下手っぴだったけど、やっぱりバスケより上達感じたし、何より楽しかったから部活行くのワクワクしてましたね。
これって大分違うよね、心の状態的に。
卓球部は3年間、たしかに色々あったし人間関係的にもしんどいことあったり技術力の差で迷惑かけたりもしたけど、すごく楽しめたし充実してたと思う。
気づいたら「優秀な生徒」「できる子」扱いになっててビビる
中学時代は、得意教科である国語と英語の順位はたま~に一桁台になるときはあったけど、
他(特に理数)が微妙で総合的に真ん中ぐらいの成績やったから、自己評価的にもそんなもんだと思ってた。
…のに、
何か、気づいたら徐々に周囲から「成績優秀なできる子」っていう目で見られるようになってた。
たしかに、ちゃんとテスト勉強はする。
部活も楽しいし、中学の時と違って悪口を言ってくる子もいないし(指令性高そうな子からの強い指摘に凹むことはあったけど)、
高1の最初に声かけてくれた「はるちゃん」と二人で楽しく過ごすことが多くて、穏やかな毎日やったから休まず学校に行けてたし、
授業も真面目に受けてたし。
ちゃんと予習もして学校に行ってたし。
そしたら、得意だった国語と英語はトップ3に入ったり(学年トップも時々あった気がする)、他の教科もなかなかの上位にいることが増えた。
高校2年ぐらいから英語の授業が「アドバンスコース」っていう成績上位者の選択クラスに行ってて、
たぶん競争性上位であろう吹奏楽部の眼鏡男子からめっちゃライバル視されてた。
「絶対里さんには負けん!」とか言われてたような気がする。
英語では負けんかった覚えはあるけど。笑
音楽はまぁ歌うことであれば好きなので堂々と歌えてるし、
体育も中学時代のバスケ部経験があったから「めっちゃスゴイ」ってほどでもなかったけど、持久走ではまぁ中の上ぐらいの場所に入れたり、他のスポーツでもそこそこのところにいれた。
そんな感じだったおかげで、通信簿もすべての教科で10段階評価8~10というどえらい「成績優秀者」になってた。
中学校の頃の「私の学力ってふつうだな」って自覚する期間がなければ、間違いなく「小さなお山の大将」とか「井の中の蛙」ってやつを体現できてたと思う。
こんな感じだったから、中学時代「弱気な玉乗り」って名乗るぐらい自信がない自分だったのが、「あれ?私、まぁまぁイケてるやん…!」ってちょっと思えるようになったね。
私みたいに自己肯定感低くて悩んでたタイプの人間には、すごくいい環境だったんじゃないかなって思う。
文化祭の出し物で久々の「劇」→楽しかった
高校でも盛り上がる「文化祭」。
1年の時は、たしかたこ焼きを販売してたな。
そうそう、高校になると中学の文化祭にはなかった「食べ物」とか作って出店できたっけ。
いわゆるギャル&ギャル男の陽キャ勢が楽しそうにはしゃいでた覚えがあるな。
あ、私、ご飯食べたら即図書館に行って静かな部屋で休息をとるような真面目系タイプだったので、決して陽キャではありませんでした。笑
で、たしか高校2年のときの文化祭で「舞台で出し物をするクラス」になって、さてどうしようってなったときに、色々案が出た結果、劇をしようってことになった。
さすがにちょっと、中学時代と勝手が違うから黙ってたんやけど、同じ中学校の子が「里さん、中学時代めっちゃ劇すごかったからぜひやってよ!」って推薦してくれた。
そういわれたら、断る理由もない。
うん、だってやっぱ、演じるの好きだし。(笑)
で、何でか知らんけどシンデレラ役になった。
なんでやねん。
しかも、2人のシンデレラ役がいて、一人はクラスでヤンキーっぽいイキった感じの男子だった。
そやつ、小学校から一緒で同じ中学のヤツじゃないですか。
そのイキった男子が、真面目できちんとした、いわゆるイメージ通りの「シンデレラ」の役。
で、私が、「言葉使いの悪い、態度のデカい、イキったシンデレラ」役。
なんでやねん。(2度目)
普段のイメージとのギャップを狙ったんやろね。
まぁそれはそれで面白いやないかい、と。
ええ、もちろん全力で「言葉使いの悪い、態度のデカい、イキったシンデレラ」を演じきらせてもらいましたよ。笑
やるなら全力でやる、ってのは今も昔も変わらないスタイルなんかも。
なかなかウケは良かったと思う。笑
「図書委員長」で生徒会へ
学校生活で言うと、「生徒会に入った」っていうのもまたちょっと私の人生史にして結構レアなことじゃないかなと思う。
さっきもチラッと書いた通り、高1の春からずっと通い詰めていた図書室。
小説とか色々借りてたっけかなぁ。
勉強もよくしに行ってたような。
そんな日常やったから、図書の先生とも仲良くなって、顔なじみになってた。
ふつうに「図書委員」にもよくなってた気がする。
立候補したんかな?その辺は憶えてないけど。
そうこうしてるうちに、生徒会の代替わりになり、自分たちの年になった。
そんなとき、先生から声かけがあったんやったと思う。
「里さん、図書委員長(=生徒会)に推薦したいんやけど、どう?」って。
えええ。私、生徒会っていうキャラでもないんやけどな。汗
そんなことを思ったりもしたけど、断る理由も特にないので引き受けた。
まぁ、生徒会長とか副会長とかそういうでっかい責任のあるポジションでもないからいっか、と。
そしたら、面白いことに他の生徒会メンバーに馴染みの子が。
女子卓球部同学年、7人中6人が生徒会メンバーやったっていうね。笑
いやもうそこ、女子卓球部やん。
生徒会室っていいながら、男子おったりするけど、もう部室とそんな変わらんやん、みたいなね。笑
なんでかわからんけど、私たちの代は女子卓球部が覇権を握る部分が多かった、と。
3年の時の文化祭の舞台、生徒会の出し物でHYのホワイトビーチをみんなで歌ったのがめちゃくちゃ懐かしいわ。笑
舞台に座りながら歌ったりしてね。もうね、青春でしかないよね。
高1の4月早々から始めたバイト:スーパーのお肉屋さん
高校時代、学校生活も充実してたけど、バイトのことを語るのも欠かせないかなって思う。
「家計が苦しいため」って書いた届け出を学校に提出して、高1の4月から早速家から最寄りのスーパーに入ってる精肉店でバイトを始めた。
土日祝日ほぼ欠かさず、6時間ぐらいだったかな。
土曜とかは午前中部活に行って、14時半~20時半ぐらいまでしっかり働いてた気がする。
得た月3万ぐらいのお金で、毎月の定期代と携帯代を払って、あとはお小遣いやったかな…?
(高校から携帯持ったけど、家電じゃなくて自分宛にメール届くとか最高に嬉しくなかった?返信待ってるとき、新着メール問い合わせとかセンター問い合わせとかやってた時代やで…!!懐かしい!!)
やってたことは、
トレイに入ったお肉を機械に通してパッケージングと値札貼りすること。
お肉を商品棚に並べること。
割引シール貼ること。
「いらっしゃいませ~!お買い得ですよ~!!」って声出しすること。
明日のセール品&今日のセール品の値札の貼り替え作業をすること。
たまに、試食販売やること等々…。
昔から慎重さが低いこともあって、商品の番号を間違えて全部パッケージングし直しせなあかん…みたいなミスをすることはボチボチあったけど、声出しは得意やったな。
今思えば、スーパーに似つかわしくないぐらい恥ずかしげもなく全力で声出ししてた。
今ふと思ったけど、市場とか活気があって威勢のいい環境で働くと自分の強み活かされるかもしれん。笑
お客さんからも他の店員さんからも
「元気やね!店入った瞬間からよぉ聞こえるわ!笑」
と概ね好評で、お肉屋さんの店長や店員さんだけでなく、スーパーの店長にもよく褒められてたし、青果とかレジの方の人にも名前覚えてもらえたりしたかも。
(ただし、一定数「うるさい!!」って怒るお客さんはいて、その都度凹んでた…けど、この時代に「みんなに好かれることなんて不可能」っていう当たり前のことを腹落ちさせてたらその後もっとメンタルタフでいられたと思う。無理な話やけど。)
私が大きな声を出すことで、他の担当の店員さんも負けじと声出したりして、当時のそのスーパーは活気があったと思うよ。(神鉄食彩館、懐かしいぜ)
閉店後、隣の鶏肉屋さんからその日に廃棄する唐揚げ系とかローストチキン系とか、総菜的なものを袋一杯もらえるのがありがたかったかな。
バイト行くたびにほぼもらえてたし、多い日はスーパーの袋2~3つ分ぐらい持って帰らせてもらえてて、わが屋の冷凍庫&冷蔵庫が鶏肉であふれてた。
毎晩、持って帰ってきた鶏肉の総菜の何かしらが食卓に並んでたと思う。笑
土日祝日みんなが遊ぶ時間、バイト入ってること多いから面倒だなって感じるときも多々あったけど、
何だかんだ受験シーズンの高3の12月末ぐらいまでキッチリ働いて終わった記憶があるな。
良い経験だったと思う。
初めて「モテ期」を感じた高校時代(笑)
さてさて、皆さまお待ちかねの(?)恋愛話にいきましょうか。笑
高校時代、今まで書いてきた通り、どの体験も充実してて楽しかったんやけど、なんてったって初めて「恋愛がちゃんと成就する」っていう経験をしたのが高校生やったんよね。
幼稚園前から好きな人をほぼ欠かしたことないけど、ちゃんと恋が叶ったことがなかった私。
それなのに、気づいたら高1の5月中旬ぐらいには彼がいました。笑
初彼さんは、2つ上の卓球部の先輩でしたね。
F先輩とでもしときましょうか。
卓球部の仮入部のときに存在は知ってたものの、2つ上ともなるとなかなか話しにくい立場の人。
でも、その人とバッタリ会う場所があったんですよ。
それが、「図書室」。(伏線が繋がった!笑)
最初の方で、「お昼にお弁当を食べたらすぐに図書室に行ってた」ってサラッと書いてましたが、そこでバッタリ出くわしたんですよ。
もう最初どんな関わり方してたかとか思い出せないんやけど、
中間テストが5月中旬ぐらいにあるってこともあって、そのためのテスト勉強を図書室でやってたんですよね。
そしたら、その先輩もテスト勉強しに来てたっていう。
で、気づいたら、学校終わりとか休日にも一緒に隣町の図書館でテスト勉強しようかってことになってて…
ま、私のキャラ的に自分から誘えるタイプじゃないから、誘ってもらったんやろな。
中間テスト始まる頃には付き合ってたね。
お互い初めての恋人。色々と楽しかったと思うよ。笑
ただ、F先輩は周囲の友人に隠したいタイプの人やったから、
一緒に帰るとしても、人の流れから外れたほとんど誰もいない公園で待ち合わせして、そこから2駅分(40分ぐらい)のんびり歩いて帰ることが多かったな。
さらに30~40分追加して、家まで歩いて送ってくれることも時々あったね。
休日、田舎住まいの高校生のデートコースって、お金もそんなに持ってないから、近所の大型スーパーか人気のない公園か神社みたいなことろって結構定番よね。笑
F先輩は住んでる所の隣の駅のミスドでバイトしてしてたから、時々ちょこっと見に行ったりね。
今もミスド見かけるとふわっと思い出すときたまにあるわ。笑
その先輩とは1年ちょい付き合ったけど、やっぱ卒業して大学生になっちゃうと、高校生の自分とは時間帯が全然合わなくて、自然にお互い少しずつ気持ちが薄れていって別れたな。
で、別れた直後にちょうどベストなタイミングで同じクラスの剣道部の男子に告白されるというまさかの事態。
全然意識してなくて、好意に気づいてなかったと思う。
たぶん、あんまり喋ったこともなかったような。
でも、断る理由もなかったので、いいよ~と。
一緒に帰ったりとかもしてたんやけど、1か月も経たないうちに
「ごめん、妹みたいにしか思えなくなった」
ってフラれた。
いろんな意味でなんでやねーーーん!!!(笑)
で、高校2年の夏休みを部活とバイトで充実させて、2学期入ってから今度は部活の後輩Hくんと何だかいい感じになり、お付き合いすることに。
Hくんとも仲良く過ごし、学校帰りの道をいっぱい歩き、公園や神社でたくさん語らい、笑い、楽しい素敵な時間を過ごさせてもらいました。
でも、高3になって、女子卓球部に1年が入ってきて(たしか、一つ下の学年は0人だったような)、
夏前ぐらいにHくんは後輩の子のことが好きになったらしく、フラれたみたいな感じになって終わった。
で、ここで、なぜか「くやしい!!!」って気持ちが湧いてきた私。
引退した後、最後に夏休みにある後輩たちの卓球の試合観に行こうかって話になったから、
「めっちゃ痩せて行ったるねん!」って思って、1週間ぐらい鶏胸肉の蒸したやつと、グレープフルーツしかほとんど食べないで過ごしてみた。
そしたら、2~3キロぐらい痩せたっていう。(そしてたぶんすぐにリバウンドしたと思う。笑)
スッキリした体で最後試合を応援しに行って、別に特に何もなくただただ空しいだけやったけど、自分勝手に「やったった!!」って思ってたね。
お付き合いしたのはその3人だけかな(いや、ある意味2人か?)。
浮ついた話しがなかった私にしてはそれだけでも十分モテ期やなって思うねんけど、高校時代はそれだけじゃなかったのが驚き。
高2の夏に付き合いはしなかったものの卓球部の1つ上の先輩と良い感じになってみたり、
高3後半はフリーやったわけやけど、バイト先の5~6個上ぐらいの社員さんだったり、1学年下の男子校の子2人だったりから告白してもらえたり…
みたいなこともあった。
それぞれ仲良かったし、プライベートで一緒に遊びに行ったり、地元の夜景一緒に見たり、そういう青春的なこともたしかあったような気がするけど、何でか気持ちが乗らずごめんなさいした感じかな。
特に高3後半は、大学行っちゃったら必然的に会えなくなって付き合いが続かんくて悲しいもんなぁって自分の高1~2の頃の経験から思ってお断りしてた気がする。
というわけで、人生で一番モテ期だった(?)頃の紹介でした!!
好きは好きだけどちょっと距離が離れた「イラスト」
相変わらずイラストを描くことは好きやったんやけど、小中学校よりは距離が離れた3年間だったな。
一緒に過ごすことが多かったはるちゃんもイラスト描くの好きだったから、ノートの空いた場所とか、テストの問題用紙の裏とかによく落書き的なイラストを描いてたけど、それぐらい。
もしここで、かなり本気でイラスト描く友達がいたらまた違った高校生活…そしてその後の進路になってたかもなって思う。
ちなみに、歌に関してはたま~に部活の友達と集まったときに流れでカラオケに行くこともあったかもやけど、
基本的にお金もなかったから、家で歌ったり、道を歩いてて機嫌が良い時に歌ったりしてたぐらいやったね。
さぁ進路選択!「大学、どうする?」
高校3年生。
大学の進路を考える時期到来。
特にやりたいこともなく、そもそも大学に行かせてもらえるお金なんてあるとは思えなかったし、
行けたとしても国公立しか無理やろうなと思ってどうしたもんかと思ってた最中、大学の教授が高校まで来て体験授業をしてくれるっていうイベントがあった。
そこで、私がとても気になったのは「認知心理学」の授業でした。
「認知心理学」って面白そう!→大学決定
そもそも、自己啓発書を小学生時代から好んで読んでいたような変態なわけで、
「自分の性格(これは後に自己理解に繋がる)」はもちろん、「人の心理」というものに強い興味関心があった。
なんかさ、「心理学」ってことば、ちょっとときめかない?
興味そそられたりしない?
私だけかな?笑
「心理学」って言葉に惹かれて、福祉大学の教授が開催していた「認知心理学」についての授業を受けに行った。
何も知識のない高校生に興味関心を持ってもらえるような工夫があって、最初から「え、面白っ!」ってなった覚えがある。
認知心理学、最初の入りは「錯視」だった。
ミュラーの錯視、指で確認して「うわ、ホンマに一緒の長さやん」とかなったもんね。
授業の詳しい流れは忘れたけど、錯視から入って「人の認知の仕方」みたいな話になって、認知心理学の初歩の初歩みたいな授業を受けたと思う。
終業のチャイムが鳴った後の私は、興奮してた。
「え、この先生の授業面白かった!!もっと受けてみたい!!!!」って。
でも、その福祉大学は私立。
しかも、神戸から遠く、岡山の一つ手前の「赤穂」ってところにある大学。
無理なんだろうなって思ってたけど、どうしてもその先生の授業を受けたくなって、親にかなり交渉したと思う。
で、熱烈な交渉の結果、
「入学金だけは何とか払ってあげられるけど、あとは全部奨学金で行ってね」
という流れで何とか承諾を得た。
まさか私立大学に行かせてもらえるとは…
自分で頼み込んだけど、なかなか信じられないことだった。
成績は3年間通して優秀だったし、生徒会にも入って内申点も良し。
大学推薦っていう手ももちろんあったけど、その福祉大学は当時たしか推薦とかなくて、一般入試だけだった気がする。
今まで頑張ってきた学校での成績の良さ、内申点の良さはあんま意味ないなとか思ってたっけ。
で、進路指導の先生には「大丈夫」って言われてたけど、ぼちぼち受験勉強してその大学だけ入試受けて、合格して、入学したって流れかな。
正直「福祉」には興味関心はそこまでなかった…
これ、もし推薦とかで別の大学行ってたら、全然違った人生を歩んでたと思う。
その先生が在籍してる大学が全然別だったら、そこに行ってたやろうし。
人によっては中高からがっつり人生の岐路だったなって思う人はいるかもしれんけど、
私にとってはこの「大学」っていうのはでっかい人生の岐路だったなぁってその後の歩んできた道を振り返っても思う。
だって、「福祉大学」やしな。
福祉大学卒業したら、概ね福祉系の資格持って福祉系の就職先見つけることになるレールが敷かれるの間違いないもんな。
「福祉関係の仕事がしたくて福祉系の大学に入った」
んじゃなく、
「認知心理学の授業が面白かったから、その先生が在籍する福祉系の大学に入った」
っていうわけで、ちょっと一般的なところとスタンス違うよなって思う。
まぁ、人は好きやし、中学生の頃近くの高齢者施設に時々ボランティアに行っておじいちゃんおばあちゃんと関わることもあったし、
「福祉に全く興味ない」ってわけじゃなかったけど、そこまで福祉に熱意を持てていない状態で大学に入ったなぁって。
卒業して実際現場で働いても、そこまで福祉に興味関心が強いわけではなかったのは確か。
自己理解が足りてないよね。
やっぱ、中高生から「自己理解」に関することってやった方が良いよねって思う。
まぁでも、これが運命ってやつなのかな。
華の高校時代、卒業!沼る大学時代へ…
うわーーー…
自慢話のんびり書いてたら9300文字突破してたわ…汗
1日1時間を目安にのんびり書き続けて5日間。
そして今日は2時間。
計6時間はかかってるよ。
いや、時間かけすぎやろ。笑
まぁ、これが文章書くの好き系内省上位者たる所業だわな。
華の高校時代を終え、遠路はるばる神戸の実家から毎日片道2時間半ぐらいかけて大学に通う生活が始まります。
大学時代は、人生で一番サボってたといっても過言ではない時期。
高校時代の「真面目」「優秀」なイメージは、2年間ぐらい行方をくらましました。
また来週ぐらいにアップできると良いな。
というわけで、以上です!!
ここまでめちゃくちゃ長い間自慢話にお付き合いいただき、本当にありがとうございました~。