ソクラテスに、ついての 僕の間違い
いままでの僕の、ソクラテスの理解は、ソクラテスの思い出、などの人物像からだけのもの、だった。
最近知ったのだけれど、プラトンの書く、ソクラテス像はイデア的で、ソクラテスの思い出などの人物像とは、真逆、だ。
僕は以前、西洋医学の間違いは、ソクラテスの実学的な考えから初まったのではないか、と、書いた。
ソクラテスの人物像が、ソクラテスの思い出などだとすると、その時と変わらず、今でもそう思う、のだけれども、プラトンな感じだとすると、僕は間違っている、ということに、なる。
兎にも角にも、西洋医学は実学的だ、という、僕の、考えには、変わりが、ない。
僕は、人間は、イデア的で、ダルマ的、なものだと、思って、いる。
機械のように、言葉的で、理性的で、合理的に分けられるものでは、ないと、思う。
西洋医学の総合病院で、人間総合の病気が良くなるのか?といえば、そうでは、ないと、思う。
人間は、分けられない、から、だ。
総合病院には、分けた人間を総合するものが、ない。
そんなことが、できるか、どうかは、僕は、知らない。
一つの生命としての、人間は、人間として、人間な、だけだ。
一人の人間の病気を治療するには、一人の人間を治療するしか、ない。
一人の人間を、ワケテは、でき。ない、のだ。
いまいまの西洋医学は、自らの間違いに気づいたのかどうかは知らないけれど、実学的に、東洋医学を取り入れはじめているように、僕には、みえる。
日本の医学は、明治がはじまると共に、それまであったものを捨て、西洋の医学に、変えたのだと、思う。
それは、物まね、だった。
そもそも、物まねから、はじまったものだから、元ネタの変化の影響があるのは、今も物まねが続いているのだから、後になるに、決まっている。
自分の頭で考えて変えれば良いのだけれど、医師免許合格者の数が、親の年収の高さと比例する、今の日本の医学の現実では、医師になるということは、医師の頭の良さとは別で、極端に言えば、親が金持ちならば医師になれる今の日本の、現状では、それは期待、できないと、思う。