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ブッチャーさんの思い出

大阪のハードコアパンクバンド、OUTOのボーカルのブッチャーさんをお見かけしたのは、今から20年ぐらい前、僕が30歳前後の時の事だ。

 場所は、高円寺の駅前の入り組んだ路地の中にある、酔好とゆう居酒屋でのことだった。

 この酔好とゆう居酒屋は変わった居酒屋で、一見さんお断りの京都の料亭のようなルールがあった。

 僕がなぜ入れたのかといえば、当時、僕は高円寺の保健所の前のマンションに住んでいる、彼女の家に転がり込んでいたのだが、その彼女がある時行ったライブで、あるバンドのこの店の常連のギタリストと知り合いになり、はじめは彼女がそのギタリストと一緒に行って客になり、その後、僕は彼女に連れてきてもらったのだった。

 酔好の店内に入ると、左側の壁一面にレコードのジャケットが、焼き鳥の煙でしみがつかないように、ラップに保護されて貼ってあった。

RCサクセション シングルマン、パンタ&ハル マラッツカ、憂歌団 生歌ライブ、ローリングストーンズの数々の名盤、のジャケットが飾ってあった。ブルース色が強かったように記憶している。

右側は、3メートルぐらいのカウンターで、奥に鉢巻をまいた、当時50代位のマスターがいるのだった。

 僕はこの店の常連になっていたが、バンドもしていない、仕事もしていない僕には、マスターは冷たかった。

しかし、冷たいながらも接してくれた。

ある夜、酔好へ行くと、客が一人マスターと話していた。

僕がその客から離れて座ると、マスターがこっちに来て、OUTOのブッチャーさんだよ、と耳打ちしてくれた。

 僕は、20代の頃、宮城県仙台市に住んでいたのだが、そこで、OUTOのライブは見ていた。 

ブッチャーさんは、OUTOのボーカルだった。

そのライブは、セルフィッシュとゆうハードコアパンクのインディーレーベルのツアーだったように記憶している。大阪からライトバンで東北の町まで、きたのだった。

 他には、リップクリーム、SOBなどの、ハードコアパンクバンドが、出演していた。

 激しい、熱のこもったライブだった。

 音源も持っていた。正直者は馬鹿を見るとゆう自主制作レーベルセルフィッシュレコード発売の盤を、中古レコード店で買い、大好きでよく聴いていた。 

 それと、当時レコード音源をCD化する流れがあり、その中で発売された、OUTOのベスト盤とエッグプラントでのライブ盤、それと、名盤と誉高い、OUTOが参加した、ハードコア不法集会とゆう、オムニバスのCDを持っていて、これらも愛聴していた。

 僕はビールを飲みながら、ブッチャーさんと、マスターのはなしを、聞いていた。 

 ブッチャーさんは、仕事現場でケガをしたこと、パチスロの事などを、ライブの、激しいイメージからは遠く、静かに酒を飲みながら、話していたように記憶している。

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