絶望体験
この、絶望の体験の、癒し方が、わからない。
いろいろ世界には、変えられないことが、存在する。
それは、変えることができないから、それによる、絶望体験、は、癒す、しか、無い。
絶望のままでは、人間は、生きては、行けない、からだ。
僕は、人間、だった。
もしかしたら、僕は、そうだから、誰彼、構わず、人間に話すことが、癒しの、もしかしたらの方法、では無いか、と、考えた。
人間は、壁に向かって話しても、無理、だからだ。
これは、確定事実、だ。
僕が、体験済み、だから、そう、だ。
そうなので、今、頭が痛いので、いつものように、カロナールをもらいに、夜勤の看護師さんを、ナースステーションに訪ねたついでに、聞いてみた。
夜中は、話を聞いてもらうことは、出来ないですよね?、と。
答は、やはり、ルールで、できない、ということ、だった。
ルール、なら、仕方が、無い。
でも、カロナールをもらいに来たついでに、聞いたのだけれど、
この出来ないことを、前から繰り返していれば、今、カロナールをもらいに来ることは、無かった、と、僕は、思う、の、だった。
だから、
社会は、難しい。
ルールは、難しい。
ルールの無い社会は、無い。
根幹、だ。
僕が、許可して無いのに、僕は、社会人、だ。
目的を、達成する場所に、目的の実現を、阻害する、ルールが、存在する。
だけど、この現実に対応して、痛みから逃げる次の行動を、考え無いと、僕は、痛い、ままなので、書いたら、痛みから逃げることができるかも、と、思い、今、これを、書いているの、だった。
どうなることやら。だ。
ただ、痛いのは、みんな嫌だと、思う。