瞳と太陽
表情の変化
8~9月の入院を経て、今は2週間に一回の外来と、毎週訪問看護に来てもらっている。
訪問看護は、最初は週に2回、そして徐々に週1回に減らしてきた。最初の方は看護師さんにも自分のことを話しづらく、あまり意味がないのではと思うこともあったが、今では健康のことに限らず色々と話しやすい関係になった。
「最近はなんだか目が輝いていますね」
この前看護師さんにこんなことを言われて私はびっくりしてしまった。
私は、夏の入院前、よく鏡で自分を見ていた。全てに無気力で、ぼーっと鏡を見つめて、なんて酷い顔、とため息をついていた。ルックスのことというよりかは、自分の「目」が印象的だった。どこまでも暗く吸い込まれそうな目が怖かった。脱力感で笑顔も作れない自分の顔が怖かった。
「本当ですか」と看護師さんに言うと、「10月にお会いしていた頃よりも表情がかなり良いです」と言われた。だんだん調子が良くなっている自覚もあるのだけれど、他の人にこう言われると、まだ少しびっくりする。
看護師さんのその言葉が印象に残った私は、最近また鏡でよく自分の顔を見るようになった。特に、自分の目をじっと見る。焦茶色の瞳の細かい模様、白目を伝う赤い血の線。薄く青く目を覆うコンタクトレンズ、そこに刺さっている下の逆さ睫毛。本当にこれが輝いているの?見れば見るほど気持ち悪いが、なんだか不思議な気持ちになる。この目があるから私はものが見えて、生きているんだ。そうか私はまだ、生きているのか。入院前とはまた違う感情を抱くようになった。
やなせ作品と私
ところで最近、私はやなせたかし先生の作品に陶酔している。『アンパンマン』はもちろん、絵本や詩を読み漁っている。特に好きな詩はやはり『てのひらを太陽に』だろう。
やなせ先生は冬の夜に徹夜をしていたときに、寒くてランプの電球に手をかざし、手が赤く見えた。そして『てのひらを太陽に』のフレーズが浮かんだそうだ。
やなせ先生の作品は「悲喜こもごも」が大事なテーマだと私は思っている。生きているからかなしい。生きているからうれしい。人生の「悲」の部分も受け入れてくれるやなせ先生の作品に、私は救われている。
てのひらを太陽にかざす仕草と、私が鏡で自分の目を見つめる仕草はなんだか似ている。生きていることを実感するから。生きることに希望を持つわけでも絶望するわけでもなく、ただただ生きていることを確認する。
歳を取るということ
入院している祖母に先日会いに行った。祖母は脳梗塞で言葉が話せなくなったが、私が話しかけ、祖母の表情を読み取って言葉を交わした。
前から続けていた胃ろうを最近やめたそうだ。もう残された時間は少ない。
祖母も私も、歳を取った。悲しくて寂しいけれど、それが生きて死ぬということだ。
病院の面会の帰り、よく晴れていた。電車を待ちながら、手を太陽にかざしてみたら、手の縁がほんのり赤くなった。やなせ先生のあの詩を思い出して嬉しく、さっきまでこの手を握ってくれていた祖母を想って悲しくなった。