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メディアあれこれ 5 デジタル化が開く新聞の新世界(上) 発展前史=成功体験と落とし穴


◇明治維新期、日刊新聞が登場 ニューヨークタイムズは日本に特派員派遣

 渋沢栄一を主人公とするNHKの大河ドラマは、明治新政府が廃藩置県を断行したことを取り上げていた。明治4年7月14日(1871年8月29日)、政府は東京にいる旧藩主を呼んで通告した。ドラマでは当時のニューヨーク・タイムズの10月17日付けの記事を写しだしていた。記事の冒頭にはoriginal corespondentとある。自社の特派員を日本に派遣していたようだ。

 

 世界で最初の日刊新聞は1650年にドイツのライプチヒで創刊された「ライプチガー・ツァイトゥング(Leipziger Zeitung)」と言われているが、西欧で一般大衆にまで広く新聞が読まれるようになったのは19世紀に入ってからである。高級紙と呼ばれるニューヨーク・タイムズが創刊されたのは1851年だった。
 さて、日本で最初の日刊新聞「横浜毎日新聞」は、大政奉還の前年の旧暦明治3年12月8日(1871年1月28日)の創刊である。日本にも活版印刷の日刊紙が登場したことになる。


 横浜毎日に続いて、明治初期には、次から次へと多数の新聞が創刊されていった。それらは大(おお)新聞と呼ばれる“高級紙”と、小(こ)新聞と呼ばれる“大衆紙”にわかれていた。大新聞の代表例は東京日日新聞(のちの毎日新聞東京本社)や郵便報知新聞である。政府寄りの立場だった東京日日は1874年(明治7年)の台湾出兵に際して、岸田吟香を従軍記者として派遣した。一方、自由民権運動の推進論を掲げる新聞が郵便報知をはじめ多数登場し、政論新聞と呼ばれた。小新聞としては、読売新聞朝日新聞がこの頃創刊され、今日まで残っている。

 朝日が小新聞だったとは意外かもしれないが、明治後半になると、大新聞と小新聞の区分けは次第に不鮮明になっていった。大新聞も大衆的話題を取り入れ、対する小新聞も政治を扱ったり社説を載せるようになった。その中で、大阪で創刊された大阪朝日新聞大阪毎日新聞が戦争報道などを原動力に群を抜いて発展し、1924(大正13)年には、共に100万部達成を宣言した。朝日はすでに東京朝日新聞を傘下に持ち、毎日は東京日日新聞をのちに買収して、朝毎二大紙時代が昭和の戦争後まで続いた。

 朝毎の100万部達成宣言の翌年(1925年)ラジオ放送が始まった。1931年(昭和6年)に起きた満州事変の速報を契機にニュース報道の一翼を担うようになっていった。当時、新聞の普及率は全国で60%半ば、東京はほぼ100%、ラジオは全国10数%、東京30%強だった。敗戦を伝える玉音放送が流れた当時も全国のラジオ普及率は実は40%に達してなかった。
 

◇メディアの個人利用化の先がけトランジスタラジオ

大戦前は新聞中心のマスメディア時代だったが、戦後はテレビが登場してマスメディアの王者になる。ただし、テレビ時代の前に、ラジオが全盛時代を迎えた。NHKのラジオドラマ「鐘の鳴る丘」(1947年)や「君の名は」(1952年)は国民的な番組となった。1951年(昭和26年)には民間放送も登場し、1955年(昭和30年)にはSONYがトランジスタラジオを発売した。トランジスタラジオの登場はメディア史で大きく取り上げられることは通常ない。しかし、今日のスマートフォンという個人メディアにつながる「メディア利用の個人化」のさきがけとして重要なできごとだと筆者は考える。受信機が小さくて簡単に持ち運びできるので、ラジオを自分の部屋で個人的に聞くことができるようになったのである。

 さて、テレビは1953年(昭和28年)にNHKと民放局が開局して始まった。1959年(昭和34年)の皇太子ご成婚報道がテレビ受像機の家庭への普及を一挙に押し広げた。その後、東京オリンピック(1964年)がカラー受像機の普及をもたらした。同時期に新聞も普及を拡大し、一家に一紙があたりまえになった。1967年には読売新聞が約500万部になり毎日新聞を抜き、77年には約750万部で朝日新聞を抜いてトップに立った。1994年には1000万部達成。日本は世界に冠たる新聞王国となった。(いずれも日本新聞協会による数字)

 テレビも新聞も、高度経済成長のもと、広告媒体として大きく発展した。ただし、接触時間で見ると、テレビの方が圧倒的に多く平日に3時間5分(1971年)となっており、新聞はどの家庭もとるのがあたりまえだったが、閲読時間は19分に過ぎなかった(NHKの国民生活時間調査による)。

 今日の新聞の退潮の原因はもっぱらインターネットの普及という要因が言われるが、実は、それ以前から虫食いのように個人の新聞離れが生じていた。新聞はどこの家にもある世帯メディアだったが、個々の成員を見ると、新聞をじっくり読む人は限られていた。新聞社は販売店の向こう側にいる読者ひとりひとりとつながろうとはしてこなかった。それが、後年Yahoo!ニュースのような、個々人とのつながりに強みを持つプラットフォームの“下請け”に新聞社が甘んじるもとになった。
 

◇マスメディアも個人メディアも横並びに

 1995年はインターネット元年と呼ばれる。それ以前から学術分野で使われていたが、この年に商用接続サービスが登場して、一般に広がり始めた。インターネットは、誰もが自由意志で発信することを可能にして「総表現社会」をもたらした。トランプ大統領が自らツイッターで発信し、ある時期世界の2000万人ものフォロワーを獲得していたのは、数こそ極端な例だが、個人が発信するという点では典型的な事例だった。自由に発信できて、人と人の双方向のつながりを可能にするSNS(ツイッターやフェイスブックなど)は、総体として従来のマスメディアに対抗する勢力となった。

 また、ニュース報道という面でも、ニュースメディアをつくることが容易にできるようになって、ネット上に多数のメディアが誕生した。Yahoo!ニュースやスマートニュースのように既存のマスメディア(新聞、雑誌、テレビ、通信社など)から記事の配信を受けて流すキュレーションメディアが一群を成しており、JCASTニュースや弁護士ドットコムのようなオリジナルの記事を載せるネットメディアというもう一群がある。これら両群はいずれにしても事実報道のメディアというスタンスだが、一方オピニオンメディアが、個人が発信するものまで含めて膨大な数にのぼる。

  既存のマスメディアのデジタル版(電子版)から新興のネットメディアや個人の発信するオピニオンメディアまで、個々の特性はかなり異なり玉石混交なのだが、すべてが横並びに見えてしまうのがインターネット時代のメディアの様相である。

 そのような趨勢のもと、紙の新聞に決定的に打撃を与えるようになった要因が、スマートフォン(スマホ)の登場によって加速したメディア利用の個人化(パーソナル化)である。2007年にアメリカでiPhoneが発売され、翌2008年(平成20年)には日本でも売られるようになった。SONYのトランジスタラジオ(1955年)とウォークマン(79年)、アップルのパソコン(84年)、NTTのショルダーホン(携帯電話の先がけ、87年)というように情報摂取やコミュニケーションのためのパーソナル端末が次々に開発されてきて、スマホがその極めつけとして登場した。

 個人の持つスマホを通じて手軽にニュースを、しかも無料で見られるようになった。そのため、新聞のライトユーザー、つまり見出し程度ですませる、あるいは事件・事故などの軽い記事だけを読む読者はなだれを打って新聞から離れていった。

 こうして新聞の販売部数は、スマートフォンの普及と反比例するかのように、毎年目に見えて減ってきて、未だどこまで落ちるかも見通せない。スポーツ紙を除く新聞発行部数は2008年に約4700万部だったのが、2023年には約2480万部まで落ち込んだ。毎年150万部位が消えてきたということになる。 

◇紙の新聞の文化的価値

 このように部数では凋落の一途の新聞であるが、新聞の価値自体も下落しているのであろうか。新聞紙面をいまいちど手に取って、1面から最終面まで見渡してみる。すると、多岐にわたるテーマの大小の記事がレイアウトされて実にうまくおさまっている。筆者は新聞紙面というのは完成度の高い文化的産物だとさえ感じて、見惚れてしまう。

 紙の新聞は、毎日1回ないし2回の締め切りに合わせて、ひとまとまりの編集物として印刷されて読者に届けられる。その紙面のその新聞に載っている記事の種類を見ると、速報的なニュース記事ばかりでなく、連載企画、時事解説、論説、オピニオン、暮らしの話題、人生相談、小説、本の紹介・書評、映画や演劇などの紹介・批評といった、掲載当日でなく後日に読んでもよい記事がたくさんある。順番にページを繰っていくと、これはという記事と出会えるのだ。あるいは、慣れ親しんだ新聞の構成がだいたい頭に入っている個々の読者にとっては、まず1面下のコラムから読むとか、オピニオン面の投書から読むといった接触パターンが習慣化していたりする。
 

◇有料デジタル新聞で勝負をかけたニューヨーク・タイムズ

 紙の退潮を補う役割を期待して、昨今は新聞社はどこでもデジタル版とか電子版と呼ぶサービスを用意している。ただし、その多くは、主要なニュースを選んで箇条書きのように並べているだけである。それに対して、紙面イメージをそのまま画面上に表示する紙面ビューアーというサービスを提供する新聞社が増えている。これは紙面と同じものが読め、適宜文字を大きくして読めたり、一定期間前までのバックナンバーも簡単に閲覧できるので、それなりのメリットがある。

 しかし、せっかくのデジタル技術を活用するのであれば、紙の新聞ではとうてい考えられなかった機能やサービスが開発されてもいいはずだ。現在では、そのような特徴を持ち、紙とは別の独自価値を持つサービスを有料で提供する新聞がいくつか登場している。ここではそれらを「デジタル新聞」と呼ぶ。その先導役を担ったのが、アメリカのニューヨーク・タイムズである。

 ニューヨーク・タイムズは、インターネットの普及が進むにつれ、紙の退潮をカバーすべくデジタル版の確立に苦闘してきた。いかにして課金するか、また広告収入を確保するかの試行錯誤を繰り返して、ついに2010年、広告をあてにしない有料デジタル新聞路線を打ち出したのである。いわゆるサブスクリプションの代表例としてあげられるようになった。そして、2025年には1000万部を達成するという目標を掲げて、現在1000万部を超えている(ただし、別商品のクロスワードパズルやクッキングのみの契約を除くと最大700万部)。

 日本でニューヨーク・タイムズ型の有料デジタル新聞で先行しているのは、「日経電子版(2010年開始)」「朝日新聞デジタル(朝デジ、2011年)」、「毎日新聞デジタル(毎デジ、2015年)」の3メディアである。これらは紙をとってなくてもデジタルだけを有料購読できる。それに対して読売の「読売新聞オンライン」は紙を購読しないとフルサービスが見られない路線を取っている。

<本稿は「教育改革通信」(2022年)所収の小論を転載したものです。数字を新しくし、一部改変しています。>