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想像と違うルックスだった隠元

『あなたの知らない京都旅』で宇治茶が取り上げられた時、お茶が庶民に広まったきっかけの話で萬福寺が出てきた。

宇治方面にある萬福寺は隠元が開いたお寺だ。勝手に日本人だと思っていたのだけど、中国人の高僧だった。

彼が来日した江戸時代、日本のお茶は抹茶で上流階級が嗜む物であり堅苦しさがあった。だけど、この萬福寺がきっかけで気軽なコミュニケーションツールとしての煎茶が広まった

と紹介していた。
煎茶といっても今売られている緑茶ではないのがミソ。隠元の来日は1654年。4代将軍の家綱の頃。永谷宗円が青製煎茶製法で今風の煎茶を作りあげたのは1738年でまだずいぶん先のこと。庶民が飲む番茶は存在しているのだけど、きっとチャノキを摘んで天日干しして釜に入れて煮出す、苦くて茶色いお茶だったてあろうとされている。

隠元のお茶道具から、彼が飲んでいたお茶は釜炒り茶だったらしいと言われてる。私が好きな釜炒り茶。加藤清正が朝鮮出兵から戻ってきた時に持って帰ってきたとも言われている。梅毒共にw 水色は透きとおり、火の独特の香りがついている。それでいて今の煎茶とほぼ成分が同じなのがいい。カテキンLOVE。隠元が過ごした明と清の中国でも人気だったのか有名だったのか。

喜多元規筆による隠元隆琦の画像
(1671年、紙本着色。萬福寺蔵、重要文化財)

番組の中で『隠元隆琦(萬福寺蔵)』という画を見た。過去と未来、宇宙銀河を見渡すような目にハッとする。1671年に描かれたとされているから80歳、亡くなる2年前の姿ということになる。体格が良くて健康的に見えるのが不思議。

あとは長くて白い爪。つけ爪かな。髪も1970年代の日本人男性っぽくて、今っぽい感覚をもつ人だったのかななんて思ってたりしてる。

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