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50代からの登録養成課程 中流家庭の見栄からの脱却と資格取得

 私は50歳を目前に、長年勤めている会社がキャリア自律の大切さを説き、自分自身も残りの社会人人生で自分を成長させるためには自ら決意して挑戦をしなければと思い始め、自立したキャリア形成による会社以外での働き方での社会貢献をいつでもできるようになるために中小企業診断士を目指すことを決意しました。その後、独学で第一次試験に合格した後にリカレント教育の環境で学ぶことを希望し、登録養成課程に現在は通っています。
 私は中小企業診断士の資格を得た後は有資格者として、社会の発展のために活動する権利、というか義務を国から与えられたと考え、粉骨砕身に活動の幅を取り組みたいと思っています。
 士業のような資格をとると、「先生」と呼ばれるような資格もあります。資格を持つことで、急にお客様や周囲から尊敬されるような資格もなかにはあります。会社での役職にもそういった面があるかもしれません。それをモチベーションに仕事に励み、成果をだそうとすることは否定されるものではありませんが、度が過ぎて虚栄心が大きくなり、虚栄心を満たしてくれる人を優遇するというようなことにはならないようにしてもらいたいものです。

今回は、そんな「見栄」について、資格や仕事と離れたところで自分がどれくらいもっているのか、以下の記事を参考に自分を見つめなおしておきたいと思います。

 私自身は劣等感の塊です。それは見栄っ張りだからの裏返しなのかなとも思っています。周囲から何等か「褒められたい」「うらやましがられたい」「すごいと思われたい」というモチベーションには多少は「見栄」を意識している気持ちがあるのではと思います。

 振り返ると、親戚、職場、友人、みなさん自分よりも人生を謳歌されているかのような「余裕」な一面があります。
 一方、私自身も以前は見栄をもってもがいてました。
昔と今を比較すると
 1)外国車に乗っていたけど、コスパ悪いので今は国産車
 2)昔はスマホは最新だったが、数年前のが使える今はのまま
 3)購入した集合住宅も最上階ではなく、中層階
 4)高いブランドの洋服等よりはUNIQLOやアウトレット
などに代わってきたかなと思います。

 良いものは長持ちする、アフターサービスも良いということは見栄をはってでも買ってよかったと実態感はしています。
 なので「見栄ではなく」普通に身分相応に選択をして利用できる人になりたかったですが、当時の私からすると「見栄」の部分も否めないと思っています。その一方で親の見栄といくら言われようが、なんと評価されようが、「子供の教育への投資」は惜しむことなく続けたいと思っています。

 今、中小企業診断士を目指していますが、振り返ってみると、「士業」をとって社会に貢献したいという内発的な動機はあれど、今のところ見栄をはりたいなどということは考えていませんでした。
 まずは皆さんから必要とされる、有資格者を目指していきたいとあらためて思いました。
 最後までご覧くださりありがとうございました。


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