遠山記念館を訪れて見えてきたSMBC日興証券のルーツは?
こんにちは。
SMBC日興証券note編集部です。
当社は、2024年7月7日に、おかげさまで創業106年を迎えました。
これも関係者の皆さまに支えていただいたおかげと、まずは心から感謝申し上げます!
遡ること106年前のこの日、
創業者の遠山元一が川島屋商店(後の川島屋證券)を設立したことが始まりでした。
遠山元一が生家を再建した旧遠山邸は現在、遠山記念館(埼玉県比企郡川島町)として一般公開されています。
今回は、創業日特集として、当社のルーツを掘り下げるべく、遠山記念館スペシャルツアーを敢行します!
30年以上にわたり遠山記念館の学芸員を務められている、副館長・久保木さんによるガイドとともに国の重要文化財に指定された歴史的建築を巡りながら、ぜひ当社のルーツ、そして創業当時から受け継がれている想いにも触れていただけると嬉しいです。
歴史と想いが息づく「遠山記念館」とは?
埼玉県比企郡川島町の田園風景に静かにたたずむ遠山記念館。
旧遠山邸の保存、そして長年にわたり収集した美術品を一般公開することを目的に、1970年(昭和45年)に開館しました。
母への愛から生まれた昭和を代表する邸宅
遠山元一は1890年(明治23年)、埼玉県比企郡三保谷村白井沼(現在の川島町)の豪農の家に生まれました。しかし、幼いころに一家は没落。
両親は一切の土地家屋を手放すことになり、元一は母親と離れて暮らしました。
元一は功業を成し遂げた後、その土地を買い戻し、苦労した母・美以のために、生家である遠山邸を再建。
母が過ごしやすい理想の住まいとするために、設計やデザイン、装飾品に至るまで徹底的にこだわり抜きました。
遠山邸(現・遠山記念館)の設計図はこちら!
渡り廊下で繋がる東棟・中棟・西棟から構成される伝統的日本建築です。元一の弟・芳雄が中心となり全国各地の銘木を集め、当時選りすぐりの技術と多くの人の協力を得て、1936年(昭和11年)に完成しました。
この邸宅は、一体どのような想いで建てられたのでしょうか。
それでは、いよいよ副館長・久保木さんによるスペシャルツアーが始まります!
元一の生まれた旧宅の再興を象徴する「東棟」
久保木さん(以下省略)
ではまず東棟からご案内します。
東棟は元一さんが生まれた豪農を思わせる建築で、生家を再興したことを象徴する造りになっています。巨大な鞍馬石を使った沓脱石(くぬぎいし)と茅葺(かやぶき)屋根が特徴であるここが表玄関です。
玄関から入ってすぐの廊下の壁面には、上着や帽子を掛けるフックがずらりと備えられています。当時は洋装化が進み始めた頃でお客さまの多くが帽子を被っておられました。
遠山邸は全体的に和風の邸宅ですが、こういったところに洋風文化を取り入れていることが分かります。
廊下を歩いてすぐ、ここは囲炉裏のある18畳の居間です。
斜めに敷かれた畳の敷き方が特徴で、これは地元川島町の現代アーティスト・長澤英俊さんの「浮島Isole galleggianti」という作品。2009年に元一さんの孫の遠山公一理事長が企画された「長澤英俊展」に出品されました。
行事と接待用の格式ある座敷からなる「中棟」
東棟から廊下を渡ると、中棟につながっています。中央にある18畳の大広間は、お客さまをおもてなしする大切な空間。
床柱が上座になっていて、使用されているのは、厳選された京都・北山杉天然絞りの磨き丸太です。
一番の特徴は、なんといってもここからの景観。上座から美しい庭園を眺められるように計算して設計されています。戦後には吉田茂元総理もここでくつろがれ、景色を楽しまれたそうです。
また、この全く歪みのない澄み切ったガラス戸は当時国内でつくることはとても難しく、アメリカの会社に注文した輸入品で、非常に珍しいものなんです。
当時は現在のような運送技術もありませんから、大変な手間がかかったそうです。昭和11年の邸宅竣工のままで、1枚も割れずに現役で使い続けています。
こちらは、付書院欄間の透かし彫りです。こういった細部の装飾にも、当時の職人さんの技術の高さが伺えますね。
元一さんはキリスト教徒で、戦前からボランティア活動に勤しんでいました。家族や親戚、活動メンバーが集まった時によく使われていたのが、この18畳大広間。
隣の10畳間に雛壇を飾って節句のお祝いをするなど、季節ごとの行事もここで行われていました。現在も3月のひな祭り、5月には端午の節句飾りなど、多くの来館者に楽しんでいただいております。
母のために細部までこだわり抜いた「西棟」
次は、中棟から西棟へ。西棟は他の2棟より低い床高設計のため、高齢の母の安全のために階段ではなく緩やかなスロープにしています。母親が安心して過ごせるように、こういった細やかな配慮が至る所に見られます。
庭園が見える入側廊下も88年前のまま。外が近いので、本来なら傷みやすい場所ですが、材料も職人の技も一級品なので当時のまま綺麗な状態で残っています。
ここは、母親の友人が遊びに来ていたというお座敷の部屋。正面玄関を通らないルートで、庭を散策しながら、ガラス戸の開けられた所から軒内の瓦敷きの土間に入り、座敷に上がることもあったと聞いています。
一番奥の部屋は、天井も高く、ゆったりと床飾りが楽しめる設計。
天井板には、薩摩杉が使われています。
通常非公開の「中棟2階」も特別にご案内!
先ほどご案内した、中棟1階にある景観が美しい18畳の大広間。
ちょうどその上にあたるのが、この部屋。昭和初期の和洋折衷の落ち着いた空間になっています。元一さんが家に帰ってきた時は、家族とこの部屋で過ごすことがあったそうです。
ホテルのような設計で、ベッドルームや小さなデスクも備わっています。どこを切り取っても、当時としては珍しいデザインですよね。
天井もご覧ください。緻密な杢目模様が端から端までぼやけることがない美しさ。銘木の春日杉です。照明具はアール・デコのデザインです。
昭和モダンのデザインと、伝統和風建築の意匠が違和感なく融合されていて、上品で独特の雰囲気が感じられます。
「人のために」という想いが原点に
―久保木さん、本日はありがとうございました!
元一さんは、母親はもちろん、まわりの人々やここを訪れる
お客さまにとって過ごしやすい空間づくりをされていますね。
まさにそうなんです。この遠山邸が遠山記念館として一般公開されたのも、元一さんご自身の意向で、本物の伝統的日本建築と美術品を後世の人たちにも楽しんでもらえるようにと考えてのことでした。
―どのような人柄だったんでしょうか?
当時、政財界の有名人で人前に出る機会も多かったのですが、実はシャイな方だったそうです。遠山記念館が開館した1970年(昭和45年)のセレモニーの8ミリ映像にもその様子が残っているんですよ。
―幼少の頃から、とても苦労した方なんですよね。
さまざまな理由で進学が叶わず、決して恵まれた環境ではありませんでした。それでも、当時の内務大臣秘書官の書生を務めた後、兜町で働き始め、30歳前に独立。
控えめではあるけれど、一度やると決めたことには一切の妥協がない。
逆境に負けず、人とのつながりを大切にして、関わる人々や物事に真摯に向き合ってきた方ですね。
―「人」を大切にすること。
まさに当社の経営理念に通じる想いまで感じ取ることができました。
それはよかったです!
邸宅の設計も、記念館としての一般公開も、積極的なボランティア活動も、原点にあるのはすべて「人のために」という想いから。
遠山記念館にある数々の貴重な文化財はもちろん、そうした元一さんの想いも受け継いでいきたいですね。
編集部あとがき
創業者・遠山元一の想いが詰まった遠山記念館のスペシャルツアーはいかがでしたか?
副館長の久保木さんにお話を伺いながら、当時の雰囲気が色濃く残った遠山邸を巡ることができ、まるで当時にタイムスリップしたかのような体験でした。
遠山記念館の敷地内には美術館も併設されていて、今回はご紹介しきれなかった収蔵品や重要文化財も多数展示されています。
みなさんもぜひ、足を運んでみてください!