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スペシャルコンテンツ 宇賀神友弥 TOMOYA UGAJIN Vol.1「地元の戸田に恩返しがしたかった」

Jリーグの名門クラブ、浦和レッズで10年以上も活躍し続けているプロサッカー選手・宇賀神友弥。
日本有数のサイドプレーヤーには、もう一つの顔がある。それが地元・埼玉県戸田市で運営するフットサルコートとサッカースクールだ。
現役選手の間に立ち上げた理由、子どもたちに伝えたいメッセージ、サッカー選手としてのこだわり……。
「SmartSportsNews」の独占インタビューを3回に分けてお届けする


戸田から2人目のサッカー選手を出すために

――宇賀神選手は2018年に現役選手でありながらフットサルコートをつくって、サッカースクールを開校しました。

プロサッカー選手になったら叶えたかった夢でした。僕は埼玉県戸田市出身のプロサッカー選手の第1号なんです。それから10年以上が経ちましたが、2020年の時点でまだ2人目が出てきていません。ちゃんとお金を稼げるようになったら、地元へ何かしら恩返しをしたいなと思っていました。

――それがUGAJIN ESFORCO PLACEだったわけですね。

はい。

――戸田市からサッカー選手が生まれてこない理由は?

うーん、なんでなんだろう……。人口が少ないわけでもないですし、浦和レッズや大宮アルディージャなどのJクラブもある。ただ一つ確かなのはサッカーをする環境が良くないのかなと。戸田市のサッカー関係者と情報交換をしても、正直盛り上がっていないよねという言葉が出てきます。

――なぜサッカーが盛り上がらないんでしょう?

まず、戸田市内で球技ができる公園が3つしかないんですよ。そういうところから変えていかないといけない。今は学校の校庭とかでも自由にボールを蹴ることができません。サッカーゴールがない学校もあります。僕らが小さい頃は朝早く行ってサッカーをしていたし、学校が終わってからもやっていましたけど、今は防犯面から学校が開放されなくなっている。どんどんサッカーがしづらくなっているんです。

――そういう状況をなんとかしたかった。

自分が生まれ育った場所だからこそ、もったいないし、悲しいなと思います。Jクラブのユースや強豪高校に行っている子がいるという話も聞きます。でも、プロ選手が出ていないのは何かしらの理由があるはずなので。

――これまでにもアクションを起こしてきたのでしょうか?

「宇賀神カップ」という少年サッカー大会を開催しているんですが、スポンサーを募って大会を運営して、その利益でサッカーボールを買って小学校に寄付するということをやっています。ただ、サッカーボールがないという小学校もあるんです。理由を聞いたら「ボールが当たったら危ないから」と……。それじゃあ、サッカーをやる人も増えないし、サッカーのレベルも上がっていかない。じゃあ自分がやらなきゃと思ったんです。

――サッカーのレベルを上げるために必要なことは?

戸田市サッカー協会は「中学生への橋渡し」というのがコンセプトらしいんです。みんなで楽しくやるために、基本的に競い合ったりとか、白黒をはっきりさせるのをしないようにしていると。その方針がダメだとは思わないですが、サッカーがうまい子は出てきづらいとは思います。

――小学校時代にプレーしていた戸田南FCはどんなチームだったのでしょうか。

めちゃくちゃ厳しかったです。普通のサッカー少年団なんですけど、フィジカルトレーニングもありましたし、試合に負けたら罰走させられる。監督も怖かったなぁ……。でも、今はだいぶ変わったみたいです。昔のやり方がよかったと言いたいわけではありません。ただ、、うまくなりたい、強くなりたいという選手のための環境づくりも必要なのかなと思います。

苦しい経験をしてきた自分だからこそ

――宇賀神選手が立ち上げたサッカースクールでは何を教えるのでしょうか?

サッカーの技術だけじゃなく、「人間力」は大事にしたいです。

――人間力。

僕は特別な才能があったわけでもないし、試合に出られない時間もたくさん経験してきた。僕はそういう苦しい時こそ人間力が問われると思っているんです。そういうことを乗り越えられる人間になってほしい。今までたくさんの選手を見てきましたけど、上に行く選手、生き残る選手というのは人間力がある。人間的にダメな選手はどこかで消えてしまう。

――なるほど。

サッカースクールの指導理念は「礼儀礼節」、「他人を思いやる気持ち」、「感謝の気持ちを忘れない」の3つです。学校の先生みたいだなって言われるんですけど(笑)。でも、プロで活躍する選手になるためには、そういうところが本当に必要だと思っているんです。

――宇賀神選手のルーツを探ったドキュメント番組を見ていると、中学校時代の指導者が「ほとんど覚えてない」とか「まさかプロになるとは」と話していたんです。実際にどうだったんでしょうか。

もう、その通りです。1年間を通して試合に出続けられたのが大学2年生とかでしたから。小学校生の時は「戸田で俺よりうまいやつはいないだろう」と思っていたんです。で、浦和レッズのジュニアユースに入ったら「こんなにうまいやつがいるのか」と衝撃を受けました。

――試合に出ていなくてもユースに昇格できたんですか?

当時はユースに上がりたいと言えば上がれたんです。高校に行く選手もいましたけど、僕はユースでやれるならやりたいと。高校でも出たり出なかったりを繰り返していたので、親からも「サッカーは高校で辞めろ」と言われていました。

――え! そうだったんですか?

そうなんです。だけど、最後の大会で3試合連続ゴールを決めてちょっと活躍できたんです。それで今辞めたら後悔するなと思ったので、親に大学に行かせてほしいと頼み込んで。

――流通経済大学からはスカウトされたわけじゃなかったと。

試合に出てないから、スカウトされるわけじゃないですか(笑)。実を言うと、親からはサッカーをやりたいなら社会人で働きながらにしてほしいと言われて。ユースの監督に聞いてみたものの「お前の実力じゃどこも紹介できない」ということで大学に行くことを認めてもらった感じです。

――扱いがひどすぎる……。

でしょ(笑)。流通経済大学は浦和レッズユースと提携していたので、セレクションを受けさせてもらって受かって。1年生の時は全然出られなくて4軍からのスタートでした。一番最初なんて4軍の練習試合のメンバーにも入れなくてベンチから見てましたからね。2年生になって3軍に上がれて、ようやく1年間ずっと試合に出られました。

――1年間ずっと出たというのは3軍の話だったんですね。

3年生で2軍になって、4年生でようやく1軍に上がれました。浦和レッズのチームメートの武藤雄樹は流通経済大学の一つ下ですけど、あいつは1年からずっと1軍でしたから。僕からすればスーパーエリートですよ。2、3年生の時はスタンドで武藤の応援してましたからね(笑)。

――そういうキャリアを辿ってきた宇賀神選手の言葉だからこそ説得力があるんだなと思います。

出られなくて辛い時の気持ちを知っているし、出られない時こそチャンスなんです。どんなふうにやっているかを人は見ている。成長のチャンスなんだよっていうのを伝えたい。サッカー選手になれるのは一握りです。親とか子どもに言いたいのは、サッカー選手になれなくても、どの世界でも勝負があるから、勝負にこだわらないといけないし、勝ち抜くには人間性が必要になるということなんです。

――サッカー選手になれるのは1万人に1人と言われています。

Amazon Primeビデオで村井満チェアマンと本田圭佑選手の対談番組を見ていて「これだ!」と思ったことがあって。村井チェアマンが伸びる人に共通するものが「傾聴力、思考力、主張力」と話していたんです。人の話を聞く、自分の頭で考える、自分の意見を発信できる。それができる選手はサッカーじゃなくても、どんな分野でもやれる。その3つが伸ばせるスクールにしたいなと思っています。

■プロフィール
宇賀神友弥(うがじん・ともや)
1988年3月23日生まれ、埼玉県戸田市出身。流通経済大学から2010年に中学・高校時代を過ごした浦和レッズに加入。スピードと運動量を活かしてサイドプレーヤーとして主力選手として活躍し続けている。2017年には日本代表デビューにも選出された。2018年に地元の戸田市にフットサルコートおよびサッカースクール「UGAJIN ESFORCO PLACE」をオープン。

UGAJIN ESFORCO PLACE
https://esforco-fs.com

■クレジット
取材・構成:北健一郎

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