「刺激」について思うこと
西です。
初回noteでも少し触れたのですが、僕は中学1年のときにフォートナイトというゲームにであってから、高校1年の終わりくらいまでずっとゲームか数学ばかりしていました。
当時は「小学生時代は秘密基地とか作って楽しかったな」と、過去に戻りたくも思っていました。
しかし最近ではそんな風に思うことはなくなり、今この瞬間を最大限に楽しめている気がします。
そしてそう思える原因は、好奇心や、困難への挑戦と人との関わりという今まで僕が避けてきたものからくる「刺激」にあると考えています。
なので今日はその話をしようと思います。
なぜ数学をしていたのか
僕の一番古い記憶は、お風呂で1から9の数字がかかれたボールを順番通りおもちゃの船の上に並べている記憶です。
そこからずっと僕の人生の隣には数学がありました。
小学校時代、どのように数学に触れ合ったかはあまり記憶にありませんが、ベネッセの教材では真っ先に算数だけ終わらしていた気がします。
大きく人生が変わったのは小学6年生の11月のことでした。
友達がやっていたからという理由で公文に通うことになり、中学1年の数学の教材から始めることになりました。
衝撃的だったのが、公文は生徒が同時並行で学習を進めるのではなく、教材をやればやるほど先へ進めるシステムだったことです。新たな概念、かっこいい単元名、かっこいい記号。
間違いなく刺激的なものでした!気づいたら6ヶ月で、中学3年分の数学、高校の数Ⅰと数Ⅱまでの教材が終わっていました。残念ながらそこからゲームにハマり、公文もやめてしまったのですが、数学で大きなアドバンテージができた僕は、中学2年の頃から無謀にも数学最大の未解決問題である素数の規則性について研究を始めました。
もちろん上手くいきませんでした笑
しかし素数そのものではないのですが、いくつかの規則性を発見し、この発見というのが新たな概念を得るよりもずっとずっと刺激的なものでした。
(もちろん既出のものでしたが)自分の力で、誰も知らない世界の真理を垣間見た感覚がし、数学の新たな楽しみ方に気づくことができました。
ここから先の数学研究はこの発見という刺激を追い求めたものになり、僕の中での生きる意味はこの刺激を得ることになりました。
苦難と成長
高校1年の終わり頃から、家庭環境の問題と友人関係の問題がほぼ同時期に起こり、精神的に低迷した時期が続きました。ここから抜け出すことができたきっかけは、海外のモチベーショナルスピーカーであるDavid Gogginsさんの影響で筋トレを始めたことです。
今までは筋肉のある人なんて別世界の人のように感じていたので、少しでしたが実際に身体に変化が表れたときには、努力次第で自分も変われるのだと気づきました。
Gogginsさんの言葉で、ずっと僕を支えてくれている言葉があります。
この言葉を聴いてから、よく悪夢にでてきて恐れを抱いていた夜の団地で大嫌いなランニングを毎日することにしました。
この苦難は、いつも簡単な道ばかり選んできた僕にとって全く新たな刺激でした。
苦労して、自分の限界に挑戦する刺激。
最初は2kmが限界だった僕が毎日10km走るようになり、20km走る日も増えていきました。
気づけば悪夢も見なくなり、苦手を克服したことにより自信もついてきました。
面倒くさがりだったのですが起業にも挑戦し、どんどん理想の自分像に近づいていく気がしました。
自分だけでなんでもできてしまうような錯覚さえ覚えたほどです。
苦難による刺激から得た成長は、自信と挑戦心を活性化させますが、他者の存在の大切さを忘れないよう気をつけなければならないものだと思いました。
小泉さんとの出会い
小泉さんとの出会いは、唐突でした。
もともと関西大学起業プラグラムハックアカデミーの参加者同士だったのですがそこまで面識はなかったので、突然チームへのお誘いの連絡が来たときには驚きました笑
話してみると凄く夢を大きくもっていて熱意のある人で、本気さが伝わってきて「この人となら最高の事業を創れる気がする!」と感じました。本当に今までこれほど本気で夢に向かって進もうとする人を見たことがなく、またその志は僕の憧れでもあったので、僕はすぐ小泉さんの世界に引き込まれました。
翌日しっかり対面で話してみると、思い描く事業の世界観の素晴らしさ、そして小泉さん自身の本気度と替えのきかない強み、その全てに圧倒されました。
その後有難くもチームに入れて頂き、僕も小泉さんに負けないくらい全力でこの事業を実現させようと決意しました。
自分独りでなく誰かと共同で同じ方向を向いて努力するなんて、今までの僕では想像もできないことでした。
出会ってから毎日話し合い、凄い速度で事業が進んでおり日々が刺激の結晶です。
本当に小泉さんには驚かされることばかりで、凄く尊敬しています!!
見えない刺激
僕は生きている間になるべく多くの刺激を得て色とりどりの人生を送りたいと思っています。
普段は気にならないもの、例えば街灯なども、2000年前の人々にとっては素晴らしい刺激になるでしょう。
しかし生まれた時からそれらの素晴らしい人類の産物に囲まれて暮らしてきた僕たちにとっては、あまりその刺激を感じる機会は多くないのかもしれません。
それがいいことかどうかは、はっきりとは分かりません。
しかしいつか僕たちの創るサービスが世界に広がって、人々がそれに刺激を感じなくなるほどまで浸透する…
そんな日が来ると考えたら、これほど嬉しいことはありません。
現代世界の基礎を生涯をかけ作り上げてくれた過去の偉人たちには感謝してもしきれません。
人類の進歩に爪痕を残せるよう、未来の「当たり前」を作れるよう、全力で進みます。