世界への感激

西です。
先日陽菜さんと一輝くんとミーティングしたとき、「当たり前に感謝することが大事」という話になりました。
よく聞く言葉ですが、本当にこれを意識して日常を過ごすのは簡単なことではなく、忘れがちなことでもあります。しかし意識することができたとき、世界の見え方が大きく変わるものでもあると思います。
今回はこれに関係して、普段当たり前に過ごしている世界がどれほど感激的で素晴らしいものなのか、僕がよく感じることを伝えれたらなと思います。


当たり前の素晴らしさ

夜、ふとしたときに空を見上げて、なんて美しい星空なんだろうと思うことがあります。想像できないほど巨大な、限りなく続く空間。壮大で何も変わらない宇宙を見て、ちっぽけで彷徨った自分を感じます。

同じ景色を見て、先人は何を考えたのだろう。
いつか、あの星を近くで見てみたい。
宇宙から見たら地球はほんの原子のような、ほとんど無に近い存在なんだろうな。
まだ見たことのない世界が、こんなに限りなく広がっているなんて…

考えれば考えるほど、感激の渦に飲まれます。
そして同時に、生きている間にあの星までたどり着けることはないのだろうと感じて、悲しくもなります。

アリストテレス

16世紀頃までは、この世界は月を境目として「天上界」と「月下界」に分かれており、天上界は人間たちの住む月下界とは完全に別のものであるというアリストテレスの理論が一般的でした。
しかしそこから数世紀後に人類が月に到達するなんて、誰が想像できたでしょうか。
火を噴く巨大な鉄の塊が、地上を離れ異世界だったはずの月まで飛んでいくなんて、当時の人が見たらどれほど衝撃的なことか。
それだけじゃありません。今や人々は飛行機で空を飛び、その景色をカメラで永久に切り取り、さらにその写真を世界中の人が見ることができる。

なんて魔法みたいな世界なんだろう。
でもこんな奇跡でさえ、生まれた時からずっとあれば「当たり前」となって意識されなくなってしまう。
人々が当たり前に素晴らしさを見出し、世界が感激と感謝で溢れたものになればどんなにいいことか。

隠れた素晴らしさ

以前のノートでも少し触れたんですが、僕は数学が大好きです。
問題を解くのが楽しいとはそんなに思いません。
数学というのはルールを決めさえすれば自然と新たな世界が開かれ、物理のように現実世界での実験を必要としなければ、国語のように解釈によって答えが変わったりもしません。誰がどこで計算しても同じ結果になるのです。
つまり数学こそが唯一無二の完全な「真実」だと僕は信じています。
例えこの世界が全て夢の中で、あるときパッと目が覚めて、全く違う物理法則の、全く想像もできない世界に放り出されたとしても、数学だけは依然として不変なのです。

さらに人間的な感覚ですが、異なる分野の複雑な論理が簡単な式にまとめあげられたり、不規則の中から神秘的な規則が表れたりと、数学自体が素晴らしい美しさをもっているように感じます。
いや、もしかすると美しいという感覚自体が数学をもとに出来上がっているのかもしれません。

オイラーの公式

数学は目に見えるものではないですが、万物に影響を与える隠れた土台だと思っています。

見えない素晴らしさ

私は海辺で遊んでいる少年のようである。
時折、普通のものよりなめらかな小石やかわいい貝殻を
見つけて夢中になっている。
真理の大海は全てが未発見のまま、
目の前に広がっているというのに

アイザック・ニュートン

これは僕のお気に入りの言葉です。
この世界はまだまだ見えていないことがたくさんあって、無限に多くの未来の可能性を秘めています。
僕は生涯をかけ、世界の未来を追求し、人類の視野を広げることに少しでも貢献できたらと考えています。
そして僕たちが開発するスマートミラーでは、それが可能だとも信じています。
視野の広がった未来で過去の自分たちを振り返り、当時は見えていなかった未来世界の素晴らしさを実感したい。
そして、過去の自分とこれまでの全てに感謝したい。
本当の幸せはいつでも感謝の先にあるのかもしれません。

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