仮説検定の良い教材?【銀座天一の次亜塩素酸ナトリウム水問題を考える】
東京の老舗天ぷら店、銀座天一で起きた食中毒事故。なんとも後味の悪い問題となっているように思います。
ただ、これを会社側の発表を鵜吞みにはできない事例だろうと思います。
というのも、事象の確率的な問題という観点で見れば、事故とするには、ちょっと無理があるのかなと思うからです。
奇しくも、カリキュラム改定で、仮説検定が数学Ⅰのデータの分析に追加されました。
仮説検定では、否定したい仮説を帰無仮説といい、それに反する仮説を対立仮説といいます。
本件の場合、被害に遭われた方の立場になって考えると、
帰無仮説は、この事象は、事故であった(故意ではなかった)となり、
対立仮説は、この事象は、故意であった(事故ではなかった)となる。
では、これを確率的な観点で検証すると、どうなるのかといえば、
ドン マッツさんの考え方が論理的に辻褄があっているのではと思います。
出された水に何らかの物質が混入し、かつそれが店側のチェックをすり抜けて客の口に入るという事象は、確率としては極めて低い。
仮説検定では、0.05(5%)か0.01(1%)を判断基準(有意水準)として採用しますが、さすがに5%や1%の確率で、何らかの物質が混入したら、それはそれで大問題なので、帰無仮説は棄却(採用できない)かなと思います。
なので、今回の事例は、有意水準を厳しくとったとしても事故とはみなせないのではと思います。
ただ、これを故意による事象であることを証明することもまた、難しいので、蓋然性として、故意であったことを否定できないのでしょう。
このように対立する主張であっても、確率な思考であったり、論理的な辻褄があっているかどうかを考えることで、判断できることは、多々あります。
内田先生の主張にあるように、この「程度の差」を理解しようと努めることは判断力を磨くにあたりとても大切なことではないかなと思います。
昨今の、教条主義の広まりは、この能力を著しく棄損するものだと思っているので、気をつけねばと思っています。論理的な検証を放棄し、権威がそう言っているので正しいという思考は、知性への挑戦と言えるのではと思っています。