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評価の高さに納得するからこそ、「あえて」国際教養大(AIU)のデメリットを探ってみる【高評価に潜むAIUの死角はどこにあるのか】
保守的な性質がある国民性もあり、この国は、学歴への固定観念が強い社会だと感じています。その結果、なかなか大学の下剋上が起こりにくいのが学歴ヒエラルキーだと思っています。
そんな中、革命を起こしたと言っていいのが、秋田県にある公立の国際教養大(AIU)でしょう。
今、この大学についてネガティブなことをいう人は誰もいないのではと思います。
朝日新聞の記事もべた褒めです。
(プレゼント機能を使っています。12月25日10:35 まで上記リンクで読めます)
これまで、私も国際教養大について、微塵もデメリットのある大学とは思っていませんでしたが、この記事を読んで考えが変わりました。
ここまで手放しでほめていいものか。
「現実的」に考えると、どこかにデメリットは潜んでいるはず。それを考えることは大事ではないかなと思いました。
この記事の前提としては、私自身も国際教養大はいい大学なのだろうという認識でいますし、それが変化したわけではありません。
しかし、それでもあるはずであろう、デメリットを探ることは大切なのではと思いました。
私なりに感じる問題点を以下の三点について書いてみます。
まず、最初に考えるべきは、加熱している大企業の採用熱です。
1学年でわずか170人程度の学生を求めて、昨年は60~70社が学内で企業説明会を開いた。新型コロナの流行でオンライン開催が増えたが、コロナ禍前は学生数よりも多い200社近くが殺到した。学内で選考の出張面接まで実施する企業もあるという。
大企業とて、新自由主義時代を生き抜くことは至難の業。だからこそ、優秀な学生を求めて奔走しているのでしょうが、昨今の大企業が学生に求める姿勢を考えるとこれは手放しでプラスとするには考える余地はありそうに思います。
その側面として挙げられそうなのが、学生の規格化でしょう。ここまで大企業が欲しがるのですから、AIUの学生が企業側にとって「都合のいい学生」である一面も内包していると見てもよいのかもしれません。
これまで採用した学生の「活躍」も当然考慮されているでしょうから、環境要因によって、学生が規格化されているのであれば、教育カリキュラムにその要素が含まれているのかもしれません。
記事にあるように大企業であっても、学生に個性を求めているのは当然だと思います。ただ、その程度問題は当然あるでしょう。企業に「不都合が生じない適度の個性」であることがAIUの学生に望まれている現実があるのかもしれません。
なにせ大企業は、この国の「右肩下がりのトレンドを牽引している」と言えるのですから、「大企業から評価が高いから」といって手放しで「良い大学」とするのは、一呼吸置くべきなのかもしれません。
次に、やはり「問題」とすべきは、全授業英語で行う弊害でしょう。
日本の教育水準を高めた要因の一つは、母語によって博士論文を出せる環境であったとする説がありますが、とても納得感があります。
私は、思考は言語で行うものであると思っていることもあり、日本語で育ったのであれば、「思考は日本語で行うのが原則」が自然なことではと思っています。
確かに英語は国際語であるのが現実なのですから、英語のスキルを上げることに何ら問題はないでしょう。しかし、20歳前後の脳の発達の最終期に、人為的に母語と切り離すことの弊害はないのかは検証する必要があるのではと思っています。
文科系の大学なのに大学のカリキュラムで、日本語で書かれた高度な文章を読まずに学生時代を送るリスクは当然あるのではと思っています。
また、テクノロジーの進化によって、言語の壁は徐々に小さくなっています。テキストベースでは、自動翻訳は実用レベルになっていますし、YouTubeも自動生成プログラミングによる母国語吹替が可能なレベルなると言われています。
そんな時代に、英語「だけに」フルコミットするのは、時代性として合っているのかは疑問のあるところです。
日本は地形的に大国に挟まれているわけですから、中国系の言語、ロシア語も当然重要な言語であり、その周辺の教養も重要になってくるでしょう。
ここ10年は「アメリカ様」はご健在でしょうが、その先は誰もが予測するのは難しい時代ではと思います。ならば、思考力のベースは、母国語で養うというのは一番リスクが少ないのではと思っています。
最後に、身も蓋もない点ですが、国際教養大の偏差値が上がりに上がり、さらに上がり続けている現実が生み出すものです。
AIUが高偏差値大になればなるほど、AIUは、富裕層向けの大学になっていく可能性が高くなります。高度な英語力をすでに入学前に獲得している学生が増えていけば、AIUの「優れた教育」にアクセスする前に、資本力競争になっていく可能性が高まっていくのではと思っています。
AIUが人気となる背景に、交換留学生制度を活用して、正規ルートで海外留学をすれば、莫大な学費が発生するにもかかわらず、AIUから留学すれば、それをAIUに納める学費で賄うことができるというメリットも、富裕層の好循環に組み込まれてしまう点も問題として大きいのではと感じます。
このようにみていくと、AIUであってもやはり問題はあり、手放しで理想的な大学とする認識は的を射ていないのではと思います。
朝日新聞のこのような記事は、大学の広告程度の認識でいいのではと思います。朝日に限らず、大学の情報は、巧みな広告になっているところも多い。
個人的には、国際教養大は、素晴らしい大学であるという揺らぐことのない評価であっても、批判的な視点は大事だなと思っています。