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「一般入試もお金次第」という説への疑問
私は、総合型選抜入試(旧AO入試)について、疑問を持っています。この入試方式そのものへの疑問はあまりなく、疑問は、この入試制度の設計についてです。
一言で言えば、負担と結果のバランスが、一般入試との差が大きいことです。
制度設計をちゃんとしないと、コスパ主義者の餌食になるのではという危惧があります。このことについては、こちらで書いています。
入試の制度を複数準備するのであれば、それらは、公平な仕組みとなるように入試を行う側がしっかりと努力をするべきです。1か月やそこらの対策で、ブランド大に受かってしまう(可能性がある)制度は、入試制度として欠陥があると思いますし、それを放置していることは、そのブランド大への価値をそのものを棄損するものだと思います。
私は、多くの私立大が「これからは、一般入試の時代じゃない!」といえばいうほど、本音は別にあり、例えば学生の早期囲い込みなのかなと思ってしまいます。そう思うのは、推薦入試はとかもく総合型選抜入試をより高める努力をしているとは強くは感じないからでしょう。
総合型選抜入試については、保護者の経済力がものをいう制度であるという側面も指摘されています。
それは的を射たものだと思うのですが、そのときの反論として、
「一般入試だって、保護者がお金をかけられるかどうで決まるじゃないか!」というのがあります。
前置きが長くなりましたが、これが塾講師として一番違和感のあることです。
それ、たぶん違うと思います。
ある程度の相関はあるとは思いますが、間違いなく相当数の例外がわんさか出てくるでしょう。
そう思う理由は、お金をかけたらかといって、どうにもならない受験生が存在するという現実を私たち塾講師は、日常的に目撃しているからです。
開業医などの経済力がある保護者が、お金にものをいわせて、お子さんを医学部へ入れようと頑張ってお金を使っていますが、ダメな受験生はいくらお金をかけようが、無駄としか言いようのない厳しい現実があります。
一般入試の場合、いくらお金をかけようが、本人が勉強しない限り、どうしようもないからです。
これは、今も昔もそうだったと思うので、塾講師でなくても私は、「世間の常識」だと思っていたのですが、最近は、「一般入試もお金次第である」と本気で思っている人が増えているのかなと思います。脳科学者の茂木健一郎さんがそのようなことをおっしゃっているのを見て、驚いたことがあります。
AO入試になると、家庭間の経済格差や、その他の差異が影響して不公平だ、みたいな議論もよく見るけれども、それはペーパーテストで行っている今の入試でもすでに生じている話ではないか。
結果の出た層の保護者の年収を分析するとそうなる傾向があるのは、私も理解していますが、だからといって、お金をかければ、いい結果がでるということではないと思います。
このあたりは、解釈の違いがあると思います。
確かに東大に行くためには、鉄緑会に行かないと不利という現実があるのかもしれませんが、別に東大に行かないとそもそもダメということもないと考えれば、一般入試も経済力がものをいうという結論には、無理があるのかなと思います。
お金をかけてもダメなひとはいっぱいいます。医学予備校などは、浪人を重ねている(重ねてくれる)人たちがたくさんいるので、商売としてうまみがあるということではと思っています。
ただ、だから一般入試は、公平な入試制度だという結論も違うというのが私の立場です。一般入試にも問題は山のようにあり、これがベストだとはとても言えません。
結論として、総合型選抜入試では、経済格差が露骨に出やすい問題点があるのに、その批判に対して、「一般入試だって、保護者の経済力がものをいうではないか!」という反論は、私は論の立て方が違うと思います。
制度というのは、脆弱なものがあり、それによって抜け穴があるものだと思っています。この抜け穴を少しでも防ぐ努力が、その制度の信頼性を高め、社会的な認知につながっていくと思っています。その意味で、総合型選抜入試の制度はまだ過渡期で、制度を高める努力をする余地はたくさんあると思います。
体験はお金で買える現実がある以上、体験を重視すれば、不平等ということは、「絶対的な」問題です。この指摘は、他の入試制度との比較によって、「相対的な」反論で論を封じるのではなく、制度の改善そのもので批判に応える必要があるのではと思います。
そもそも総合型選抜入試を「真剣に」やろうとすれば、一般入試の比ではない手間暇がかかり、大学にとってコスパ的に大変な入試制度です。アメリカの名門大学は、その手間暇を決して惜しんではいません。大変な労力をかけるのは、優秀な卒業生を送り出すために必要不可欠だと理解しているからでしょう。その点において、現時点の日本の総合型選抜入試は、お手軽な制度に甘んじているのではないかと思っています。
この制度を推進したいのであれば、もっとやるべきことがたくさんあると思います。
それをやらずして、これからは総合型選抜入試の時代だと言われても、本音は別だろうと思うのは、当然ではないかと思います。