見出し画像

This is the style of capitalism【東京都スピーキングテストからベネッセ撤退が意味するもの】

批判が続出していた、東京都の公立学校で導入されていたスピーキングテスト・ESAT-J。指定業者となっていたベネッセが撤退し、イギリスの非営利組織・ブリティッシュ・カウンシルに代わるのだそうです。

ESAT-Jについては、↓で書いています。

教育界隈で仕事をしていると、ベネッセという会社は、資本主義とは何かを考えさせる象徴的な企業だと感じます。カネのにおいがあるところは、スーッと入り込んでくる。

共通テストの筆記採点の請負業者として唯一名乗りを挙げたものの、アルバイトに採点させるなど、信じられない思考もあり、警戒すべき考えの企業だとずっと思っています。

政治権力の活用など、彼らの論理では当たり前のことであり、ESAT-Jについてもそのような印象を持っていました。

その意味で、今回の東京都のスピーキングテストから撤退することもまた、ベネッセらしい仕草だと感じます。

これこそが、資本主義様式なんでしょうね。

儲からないなら、ササっと撤退。そのことに何ら罪悪感などないのでしょう。英語教育の現場に混乱をきたし、公平でない精度の低い試験を提供したという反省もない。それどころか、改善などを考えるよりも、撤退した方がコストが安いという判断なのでしょうか。それは結果として、倫理観のない行動となってしまう。

教育は、基本的に公共性が伴います。公共性を伴うことには、それなりの倫理観も伴うということです。しかし、資本主義は、倫理と食い合わせが非常に悪い。なぜなら、資本主義において、何らかの形での搾取が行動のダイナモになるからです。

倫理観を持つ行動は、苛烈な競争社会でもある資本主義の下では、必ずしもプラスの思考とは言えないという現実があります。

だからこそ、インフルエンサーたちの悪態がやまず、一方で、説得力を持つ。

欠落していく倫理感は、冷笑主義(シニシズム)との相性の良さもあり、資本主義という環境の下で、人間の思考も変化していく様を見せつけられているとも思います。

私が教育界隈の「改革」なるものに、強い違和感を感じるのは、この資本主義様式に基づくものが多いからなんだろうなと感じています。

その意味で、入試改革も、ICT教育もそこまでバラ色とは言えないだろうと見ています。


いいなと思ったら応援しよう!