マイナンバーカード問題に潜む恐ろしい「思考」(4)【「あなた」が「データ上のあなた」であることを証明するということ】
【注】誤って記事を削除したようなので、再UPしています。
マイナンバーカード問題について考えています。
この問題を考えると、現代社会に生きる私たちの思考に潜む問題を感じるようになりました。
前回はこちら。
今回はこちらのニュースから。
このニュース、マイナンバーカードに批判的な人たちから、冷ややかに受け取られています。揶揄する気持ちもわからないではありませんが、笑いごとではないとも思います。厚生労働省の心ある官僚の皆さんの、必死な訴えであると受け止めています。
マイナ保険証問題で、改めて可視化された現実は、システム運営の点において、生身の人間である「私自身」よりも「データ上の私」が重視されるという現実でしょう。
だから
病院窓口で、持っているマイナ保険証がデータ上のあなたと照合できない、となった場合、「わたし」が「データ上のわたし」である証明ができないので、10割負担してください。
ということになってしまう。
つまり、システムが信頼しているのは、健康保険料を納め、資格を取得したあなた自身ではなく、データ上に残るあなたであって、データ上のあなたとあなたが同一であることを証明しなければ、医療保険が使えないということなんだろうと思います。
これは、よく考えると非常に恐ろしいことです。
なぜなら、人間は、自分の存在を自分の力で証明することはできないからです。
私たちは普段、私が私であることを他者が承認してくれるから、社会の中で存在出来ている現実があることを全く意識していません。
そもそも、データ上の自分を自分であると特定することは、考えているほど簡単な話ではない。
名前は、同姓同名の人はいますし、改名も可能です。
生年月日との組み合わせでも、知っていれば、誰でも答えられます。
さらに、人間は人生の過程でデータが変化します。年齢、住所、場合によっては名前も変わる。データは動的です。だからこそ、変化をきちんと捕捉することは、とても大切なことです。
あなたがあなたであることを証明するという作業は、煩雑な手続きによって、慎重にチェックされる基本情報を基に行われる必要がある。
日本の仕組みでは、住民登録や戸籍謄本などを組み合わせて、そのベースとなる基本情報をつくり、「あなたがあなたであることを証明している」と思っています。
健康保険証も、運転免許証もベースにあるこの基本情報による承認の上に構築されているシステムであることを忘れてならないと思います。
マイナンバーカードに統合するということは、基本情報のみの一本足打法となる。
基本情報のみで、トラブルが起こった時、どうやって、あなたがあなたであることを証明するのか。その意味でシステムエラーによる被害は甚大であり、利便性をはるかに凌ぐリスクではないのかなと感じます。
マイナンバーカードの不具合によって、あなたがあなたであることの承認をはじいたとき、社会(システム)から「あなたは、誰ですか?」と問われる事態に直面する。
その際に、抱えないといけない「社会的コスト」は、大変なもので、本人もさることながら、行政も凄まじい労力になるのではと感じています。
目の前に存在する「人間」と社会システム上存在している「人間」が違うとどういうことになるのかについて、もう少し考えて制度設計をすべきではないかなと思っています。
宮部みゆきさんの『火車』や『理由』、松本清張先生の『ゼロの焦点』などの物語は、それを理解する絶好のテキストでもあります。
あなたであることを証明する手段が複数あるからこそ、あなたであることを証明することができる。この点は軽視してはいけないのではと思うのです。
厚生労働省の呼びかけは、図らずも「あなたがあなたであることを証明する」手段は複数必要であるということを明示したのではと思っています。