「やむを得ない」という思考の社会病理(1)【JR九州博多駅のみどりの窓口の光景から】
先日、所用で県外に出かけた時のこと。必要性があり、みどりの窓口に行くと、若い駅員さんが、
「只今、みどりの窓口は大変混雑しております。20~30分くらいお並びいただいています!」
と声を張り上げている。
確かに、みどりの窓口に並ぶ列には人が溢れている。
「みどりの窓口には、外国人観光客の方もおられるので、お時間をいただいています!」
とのこと。
それでも、この混み方異常ではないかと思ったら。列に並んで納得。
窓口が減っている。
正面向かって右側は、忘れ物対応窓口になり、左側は、外国人観光客向けのサービスRAIL PASS専用の窓口になっている。
窓口を減らして、外国人観光客にも対応してるんじゃ、列にもできようものです。
さらに、駅員さんが
「今月から、ICチップのないクレジットカードは、券売機がご利用になれません、みどりの窓口をご利用ください」
と叫んでいる。
は?
そもそも人がいる窓口は、機械化、システム化で対応できないから設置されている
というのがデジタル時代のみどりの窓口の役割と定義が変わっているはず。
自社の都合で、みどりの窓口の業務内容が増えているのであれば、それに備えておくべきなんじゃないかなと思ったものですが、
そのようにJR九州は考えない。
私は、遅々として進まない列に並びつつ、迫ってくる電車の発車時刻を気にしながら、なんでこんな不利益を被らないといけないのかと不満と不安に向き合っていました。
出発時刻の30分以上も前に駅に来て、切符が買えないかもしれないというのは、なんの冗談なのか。
などいろいろ考えていました。
このみどりの窓口問題は、JR九州だけはないようで、
この現象を合理的に説明できる思考ってなんなのだろうと思っていました。
JR九州としては、
・窓口の人員は、人件費がかかるので、増やせません。
・外国人観光客が増えているので、専用窓口は必要です。
・取り扱いカードの変更は、システム上、必要です。
だったら、みどりの窓口でお客さんが並んでも、電車に乗り遅れても「しょうがないじゃないですか」
ということなんでしょう。
「やむを得ない」という思考・・・。
私を含め、現代人はいとも簡単に「やむを得ない」「しょうがない」という思考に陥りやすいのでは?
と感じました。
「そりゃ、お客様の不利益があることは、承知していますよ。できるだけ、そんなことはしたくない」
「でも、しょうがないじゃないですか」
という思考なのでしょう。
開き直っているわけでも、やる気がない訳でもないのでしょう。
拡声器を使って必死にアナウンスしていた若い駅員さんだって、やりたくてこんなクレームが来そうな対応をしているわけじゃないでしょう。
もしかして、駅員さんもまた、
だって、しょうがいないだろう?
会社がそうしろって言っているんだから。
という気持ちで仕事をしているのかもしれません。
そして、そんな状況でも淡々と並ぶ私たち。
それもまた、異常なんではとも感じました。
ブチギレるおじさんがいてもいいし、むしろそれがまともなんじゃないかなとも思ったり。
もしかして、やむを得ないという思考は社会病理なのかもしれないと思うこともあり、この点について考えてみたいと思っています。