衰退国家の現実から学ぶ(1)【浮き足立ってきた教育行政の先にあるもの】
昨年から意識してきたことに、この国が衰退国家であることがあります。昨年の大晦日の記事もこれをテーマとしました。
厳しい現実を見つめ、自らを奮い立たせる意味もあり、衰退国家の風景をしっかりと凝視して、未来を拓く糧にできればと思っています。日常の出来事やニュースなどを通して衰退局面で起きることを理解し、問題解決への萌芽を見通すことを目標とできればと思います。
今回は、このニュースを考えます。
時代の影響を最も早く受けているなと感じるのは、私立大の文系学部だと思っています。
多くの私立大にとって、文系の学部生の存在によって経営が成り立っていると見ています。学生(つまりは、保護者)が支払う学費が収入の骨格となっているということです。文系学部は、理系学部で必要な実験設備が要りませんから、先生の人件費や研究費あたりが支出のベースとなり、またマンモス大の場合はゼミも必修ではない制度も「無駄な支出」を抑えることになっていると思います。楽に経営をしているとは思いませんが、文系学部が財務面で貢献しているのは間違いないのではと思います。
なので、私立大は経営的には文系学部があってこその存在と言えると思います。それで何とかなったのは、たくさんの文系学部の需要があったから成り立っていたとも言えます。
これまで、多数の文系学部を抱えることができた最大の理由は、卒業生が組織内で働くジェネラリストとして生きる道があったからだと理解しています。
雑に言えば、私立大文系の卒業生は、多くの例外はあるものの、法学部であろうと、経済学部であろうと、社会学部であろうと、多くがサラリーマンとなることで、人生設計の安定が図られてきたということなんだと思います。
しかし、ここにきて徐々にその雲行きが怪しくなってきたのではと思います。
記事内にあるように、三井住友海上グループは、約2割に当たる人員を削減する方向であるということです。これまで「サラリーマン」として人が担ってきた業務が次々にITなどの技術革命によって自動化・機械化されていくことで、人がだぶつくということなのでしょう。組織の2割という数字は、かなりの人数だと感じます。
営業、人事、総務、・・・といった組織のあり方そのものが形を変えていくということなのだろうと思います。恐らく、同じ損保業界、さらに生保、もっというと広く金融業界まで同じ構図で推移すると考えると途方もない雇用が蒸発することを意味します。
大企業に入ることが、人生のすべてではないものの、これまでのように、文系学部の卒業生の受け皿があるという状況ではなくなるのでしょう。
文科省としては、このような現実を見据えての方針なのだろうと思います。
ただ、この政策、どう見ても浮き足立った側面が否めません。というもの、先を見通した政策というよりも、近未来が現実を追い越しつつあるからあわててやっていると感じるからです。
そんな急に、私立大の文系学部を転換するといってうまく機能するはずはない。誰でもわかりそうなことを、それでもやらないといけないと主張することこそが、衰退国家で起こる現象なのではと考えています。
このような急激な政策転換は、今後いろんな局面で起こっているくるのではと思うのです。これまでは、政治が不安定であっても、官僚機構がそれなりに機能しているから安心であるという側面がありました。しかし、優秀な官僚であっても、衰退国家であれば、彼らの努力も水泡に帰すという展開は十分ありえます。
このニュースを見て、どんな立場の人も、衰退国家では、自分は関係ないと高みの見物というわけにはいかなくなっているのだなと感じています。
明日、自分の足元が揺らぐことは、十分ありえる。それが衰退国家で起こることなんだろうと思っています。