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一瞬のスイッチで、少女時代『Into The New World』の下に集結できる隣国から何を学ぶべきか【権力者に緊張を強いる音楽という安全装置】

韓国が嫌いであるというのは、別にいいと思っています。

好悪はリクツではないですし、世界中をみても、隣国同士とは、仲が良くないことも多い。利害が対立しやすいですし、ライバル意識も芽生えやすい。

ただ、学ぶべきことがあれば、真摯に学ぶべきというのは、やはりあると思っています。

今回の韓国大統領への弾劾成立から民主主義とは何かを学ぶ契機としてこれ以上のケーススタディはないのは間違いないでしょう。

隣国とはいえ、他国の政治の内実には、外国人である私たちには理解するには、十分な知識が不足しているのですから、それは一定の距離を保って見守るのがいいのでしょう。

ただ、今回の件で学ぶ点があるとすれば、一瞬でスイッチが入った感のある国民の動きでしょう。

少女時代『Into The New World』の下に国民が集結する姿は驚きでもありました。

原曲はこちらとか。

この一見、何の変哲もないアイドルの楽曲が、国難の時には、国民を集結させるアンセムとなる。

これは、平時では平穏な日常の象徴であるアイドルの存在が、民主主義の待機(アイドル)状態の一面を持つというのことは、民主主義の成熟という点において、理解しておくべき現実なのではと思っています。

今回の韓国国民の行動は、今後登場する権力者へのこれ以上ない強烈な「圧力」として機能することでしょう。

その意味では、大衆と音楽の底力を実感しています。

民主主義の維持のためには、時には権力者に対する「武器」も必要であることは、現実的対処だと思います。

「武器としての音楽」という観点で考えると、フランス国歌である『ラ・マルセイエーズ』は、フランス革命における革命歌なのですから、当然激しい言葉が歌詞として並びます。

それは、結果として権力者への強い緊張感を強いることになり、民主主義の安全装置として機能しているのではと思っています。

この現実は、権力者への向き合い方を私たちに教えてくれるものだと思っています。

昨今、この国では、権力者を崇める風潮がありますが、「安全機能」としては十分ではないと私は思っています。いざとなった時、国民と権力者とではパワーバランスが違いすぎるからです。この点に限っては、権力者を性善説として認識することは、フェイルセーフの観点ではよくないと思っています。

普段から権力者に対して、数の力で制圧できるのだと私たちの個々の力を信じることができる状態が理想的ではないかなと思います。

そのためのアイドル(待機)状態を普段から作っておく。それは、時として起きる可能性がある、狂人が権力者となった時のための安全装置として必要なのではと思っています。

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